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留学2024.06.05

トロントでの留学体験-vol.2-

 留学がスタートして2ヵ月が経とうとしている。学校と家の行き来はもちろんのこと、公共交通機関が遅れても慌てずに行動ができるようになるほど、こちらでの生活に慣れてきていることを感じる。語学学校で生徒が集まるロビーに顔を出すと誰かしら話せる友達がいる。英語技能の上達はまだまだ感じ取りづらいが、それでもまずはここまで生活基盤を自分の力で築けたことについて自分を褒めたい。

 5月になってからは最高気温が20度を超える日も出てきているが、日本よりも湿度は高くないため爽やかさを感じ、とても過ごしやすい。ここで私のトロントの好きなところについて紹介したい。それは季節の移り変わりが分かりやすいという点である。近年の日本は、冬が終わったことを感じると桜が咲くが一瞬で散り、瞬く間にジリジリとした夏が始まっていく。「怒涛」のように季節が過ぎ去っていく。だが、トロントの季節は急いでいない。桜は4月中旬から5月上旬まで満開が続く。タンポポが咲いている場所は一面が黄色くなる。つまり、花が咲いても、気温が急変したり、大雨が降ったりしないために、満開になるまで季節が待ってくれるのだ。通学路を歩いていると少しずつ色が変わっていく景色を楽しむことができる。同じ一か月なのに日本よりもゆっくりと季節の変わり目を楽しめるところは私のお気に入りポイントだ。(厳しい冬でも同じように楽しめるかは定かではない。)

 

 さて、今月、ピックアップしたいトピックはトロントでのごみ問題、小旅行として訪れたフレンチカナダでの思い出についてである。

留学に来てからすぐに感じたことは私の予想以上にポイ捨てが少ないことである。日本でも時折道路に捨てられていたごみを見ていたが、海外はもっと多いのではないかという偏見を持っていた。もちろん路上に捨てられているごみが全くないとは言わないが、ほとんどないといっていいほど少ないと思う。その理由はおそらく、街中に設置されている大量のごみ箱の存在だろう。ダウンタウンはもちろんのこと、住宅地である私の家の近隣でも、電車のホームなど、どこでも路上にごみ箱が歩道に設置されているのである。約100メートルから200メートル間隔で見られ、”litter”と”recycle”の二つに分類されているために分別して捨てられるようになっている。道路を清潔に保つための一つの手段としてとても有効的だと考える。だが、生ごみをこの路上ごみ箱に捨てていく人も多い。そのため時折ごみ箱の前を歩くと言い表せないほど強烈な「におい」を感じることもある。そう考えると、視覚上では清潔に見えても、町全体が衛生的とは言い難いのかもしれない。

 日本と比べると普段生活していて出すゴミの量が格段に多いことにも生活していて気が付いた。例としてフードコートで外食したときについて考えたい。日本だと各店舗でトレーをもらい、その上に店舗から提供された料理が載せられる。飲み物を頼むと紙のコップに入れられることが大抵で、水の場合無料で紙コップに注ぐ。食べ終わるとトレーごと返却するという形が多いと思う。トロントでもトレーは使い回しだが、各料理は使い捨ての容器を使うというパターンがとても多い。各店舗で洗えばリユースできるのになぜそれをしないのだろうか。とても疑問に思う。他にも日本よりもペットボトルをよく街で見かける。これはもちろん水道水が飲めないということが最大の問題として挙げられるだろう。日本では水道水を飲むことができるため水筒を大学に持ってくる生徒が大学構内にはいるが、こちらは買わないと水が手に入らない。私の語学学校には浄水器が設置されているため水筒を持ってきている生徒も少なくないが、町全体を見るとペットボトルを持っている人間が多い。私の住んでいる家にも大量の500mlの水のペットボトルが常に常備されている。また日本と違い紙コップのコーヒーを持ち歩いている人も多い。日本よりもカフェ文化が盛んであることが伺える。飲み物関連のごみは一体日本の何倍存在しているのだろうか。一方で、日本よりも少ないだろうと感じられるのがお菓子のごみである。日本では個包装のお菓子をよく見かけるがトロントにはないと断言できるほど見かけない。大きい袋を開ければそこに直接お菓子が入っている。これは利便性の点では個包装よりも悪いと思うが、ごみの削減という意味では大きな意味があると思う。

 

 5月にあった最大のイベントとしては2泊3日で行ったフレンチカナダへの旅行である。フレンチカナダとは今回の旅に添乗してくれたガイドによると、世界史上の中でフランスとイギリスが領土の奪い合いをしていた時にフランスが最後まで占領していた土地のことを指すらしく、オタワ、モントリオール、ケベックを観光することができた。

私が一番楽しかったのはケベックである。一緒に回った友達が「トッケビ」という韓国ドラマの大ファンということもあり、モデルとなった場所を回りながら街並みを観光した。ケベックではフランス語が使われている。カナダはどちらの言語も公用語とされているが、トロントでは英語しか聞こえないため、なんだかカナダとはまた別の国、まるでフランスに来たかのような気分になった。カナダ製品のものには英語とフランス語の両方が書かれているが、ケベックでは町の道路標識やレストランのメニューはフランス語でしか書かれていなかった。大学で第二言語としてフランス語を学んでいたためになんとなくの意味は理解できたが、食事をするときにフランス語で話しかけられると理解は難しかった。ここで日本と聞いていた情報と異なると思ったことがある。それは英語が通じないわけでないということだ。情報源は確かでないため「噂」にはなるが、日本でケベックはフランス語しかないため英語を使っても通じないと聞いたことがある。しかし、ケベックの現地人は流暢とはいかないまでも英語を話してくれた。また、街並みがフランスを彷彿とさせた。大学で見たフランスの資料の風景がそのままで、建物が白い石でできていたり、道が石畳になっていたり、道の中央が凹んでいた跡が見受けられ、よりフランス感を感じられた。

 食べ物という観点で感動したのは「Poutineプーティン」と「ベーグル」である。プーティンとはフライドポテトにグレイビーソースがかけられ、チーズがトッピングされているカナダフードである。ガイド曰く、このプーティンはフレンチカナダ出身の食べ物らしいがこれが驚くほどおいしかった。トロントでも何度か挑戦したが、グレイビーソースの味の癖が強いように感じ、また油が多く、あまり好みではなかった。しかし、ケベックはさすが本場というべきかとてもおいしく頂くことができた。一日目の昼食にオタワでプーティンを食べてから感動し、毎食メニューにプーティンがあると欠かさず注文したほどである。もう一つはモントリオールで食べたベーグルである。ホストファミリーが行く前にフレンチカナダにいくならベーグルに挑戦するべきだよと言ってくれたので食べに行ったのだが、今まで食べていたベーグルはなんだったのかと思うほどおいしかった。たくさんのフレーバーからベーグルを選び、自分の好みのクリームチーズをたっぷりと塗り、トースターで軽く焼いてから提供される。ベーグルの生地は水分を多く含みしっとりとしている上でもちもちとした食感を楽しめた。またチーズは滑らかな上に豊かな香りがして、間違いなく今まで食べてきたベーグルの中で一番おいしかったと言えるだろう。

 この旅の中で一番びっくりしたのは「旅行に来ている」という感覚になったことである。留学に来た当初はトロントという町が日本とは環境も人も食べ物も全てが異なっていたため、「非日常」を感じていた。だが、フレンチカナダを訪れた時にトロントで1か月半ほど生活して、いつの間にかトロントでの生活が「日常」になり始めていることを感じられたのである。フレンチカナダにいる間、公共交通機関、食事やホテルのシャワールームについてなどをトロントと比較していた。旅行に行くまではただでさえ非日常を過ごしているのだから、旅行と言ってもさほど気持ちは変わらないだろうと思っていた。しかし、2泊3日の旅行を経てリフレッシュした気分になったことに驚いたと同時に、トロントでの生活に慣れていることを確認でき、1か月半頑張ってきたのだなと思い、嬉しい気持ちになれた。

 

 今月のメイントピックは以上となるがここで私が最近感じている友達との距離感について記述したいと思う。今月から、お別れする友達が出てき始めた。私の通う語学学校は長期留学(6か月以上)の場合は入学時期が決まっているが、短期留学の場合、入学の時期は決まっていない。そのため毎週月曜日に新しく入学する人がいて、毎週金曜日に卒業する人が生まれるのである。4月はまだ深くまで仲良くなった人がいなかったため、別れを経験しなかったが、5月となり深く話した友達が帰国日や卒業の日を迎え始めるようになった。日本人の友達とはまだ会える可能性がある為、もちろん寂しさはあるが、今生の別れと思うほど悲しくはならない。だが、日本以外の国の友達は話が変わる。先週末、私のホームメイトがフランスに帰国した。彼女が帰る前にメッセージを書きあったが、私は彼女に対して「また会おうね」と書けず、飛行場まで見送りに行ったが「また会おうね」と言えなかった。本当は会いたいという気持ちを伝えたかった。でも、伝えたら嘘になってしまいそうな気がしたのである。現代はSNSもあるし、ビデオ電話もある。連絡を取り続けることは可能だ。しかし、やはり直接会うとなると話が変わる。どれだけ技術が発展し、タイムラグがなくなってきたとなっても、リアルで会うということの価値は高いままだなと感じる。むしろ高くなってきているのかもしれない。

 そのため最近私は、友達に深入りしたくないと思い始めた。日本でできた友達と異なり、別れが見えていると感じるようになったからである。短い期間で友達になるにはその相手の性格を見るために会話を重ねる必要がある。だが、今の私にはその行為が無意味になるのではないかと感じるほど別れというものを強く考えてしまう。自分の英語を伸ばしたいという自分の利益だけを考えて人に話しかけるようになってしまった。人に対して正面から向き合いたい私にとってこの私の持つ心構えはとても苦しい。もっと素直に人と会話を楽しみたい。この考えがどうしたら無くなるのかはまだわからないが、一刻も早く解決したい問題なのは確かである。

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