学生ブログ
トロントでの留学体験vol.5
日が短くなっていくことをとても感じた8月。9時に日が沈み始めている感覚がどんどんと短くなってきており、8月末の時点で、おおよそ8時半にまで短くなってきている。この月で、自分の留学生活が半分終わってしまった、ということに驚きと達成感を感じると同時に自分はトロントを目いっぱい楽しめているのか、自分の英語力はどれほど伸びているのか、新しい友達はここからどれだけ増えるのか、と不安や心配な気持ちも感じている。この感情について、東アジア(中国、日本、韓国)の関係性について、自分が今学びたいことについて、人生における「賢い」について記述していきたいと思う。
初めに、最近感じる寂しさについて述べていきたい。4月7日から始まった私の留学生活であるが、同じ日に多くの日本人が語学学校に入学していた。はじめの頃は「日本人の友達なんていらない、関わらない」と決めつけていた。だが、4月の入学時は新入生がほとんど日本人だったということもあり、関わりを避けることはできず、当時は不本意ながら日本人と関わっていた。日本人といると当たり前だが英語より日本語のほうが正しく自分の意見、感情を伝えられるからである。私は運がよく、偶然日本人が少ないクラスでスタートすることができた。だからこそ、言い方はとても悪く直接的だが、仲良くなりたいと思う人を選ぶことができたのである。私は、積極的に語学留学に対して高いモチベーションがある人、自分の将来について真剣に考えている人と関わっていった。同年代の学生や会社を辞めてきた社会人の友達は、自分の悩みを細かく理解してくれて、夢を語り合ってくれた。私にとってこの環境はとても居心地のよかったように思う。英語で授業に取り組み、外国の友達と関わる中で、自分の性格についての葛藤や英語を使うことへの苦しさを感じるとき、ストレスなく伝えられるからだ。だが、ほとんどの友達が8月末で帰ってしまった。自分の力だけで頑張ってきたと思っていたのだが、どうやらそのようなことはなかったと思わされた。そして素直にほとんど毎日のように会えていた友達たちにもう会えないことが寂しい。
そしてまた友達を作らないといけない時間がやってきた。このような表現をしたのは私にとって友達を作ることが大変なことだからである。5か月過ぎたということもあり、初対面の人に話しかける方法、距離を詰める方法はわかってきている。しかし、人対人のコミュニケーションの中で自分と気の合う友達はだれか、アジア人や日本人への偏見はないかと気にすることには体力が必要である。それでも英語を使う時間を増やすため、トロントでの生活への満足度を保持するために友達作りは必至である。(一旦頑張るしかこれに答えはない。)
次は英語力について。英語力は伸びたか。これに対して、いま私は「伸びていると信じたい」と答えるだろう。日常会話はできる。授業中に先生が話している内容も大抵わかる。授業中でディスカッションできる。プレゼンテーションもできる。だが、なぜ前述に述べたような答えになってしまうのか。それは、おそらくさらに話せる世界が見えているからであろう。クラスのレベルが上がるにつれて、先生はより語彙が多くなり、話すスピードが速くなる。これはクラスメートも同じだ。その時、私は「もっと早く話さなきゃ」、「もっと正しい表現ができるwordは何か」、「文法は正しかったか」、「発音はきれいだったか」などがとても気になるようになった。この考えに至る前までは、話せるだけでよく頑張っていると自分を認めることができたように思える。しかし、カナダに来て5か月。流石にその簡単なレベルに留まっていることはできない。日本に帰った後、私の周りの人たちは私のことを「大学を1年間休学して留学に行っていた人」とみなすだろう。その時、がっかりさせたくない、がっかりしたくないと思うようになってしまった。もちろん、ネイティヴのようにはなれないとはわかっているが、それでも憧れるし、「なぜ私はなれないのか」と葛藤を強く抱くのである。まだここから5か月。ここで諦めず食いついていけるかどうかが、私が成長するかしないかの分岐点であると信じ、勉強を続けていきたい。
次は東アジアの関係について。ある時、日本人の私と、中国の高校と大学に通っていた韓国人の友達と話していた。そこで「Mandarin」とは何かという話になったのである。日本では中国語をChineseとして学ぶだろう。(私はそう習ったので)だが、ホストファザーや学校の先生は中国語のことを「Mandarin」と表現していた。そこでこの違いは何なのか、Chineseという単語は使わないかと不思議に思い、彼に尋ねたところ、彼が「日本のkanjiはMandarinなのではないか」と思っているということを知った。実際、日本では漢字の位置づけについて多くの日本人は「中国から伝来し、そこから派生してカナ文字ができた」と日本史で学ぶ。「なぜだろう」と二人で考えたが答えが全く出なかったので、語学学校の中国人スタッフに質問しに行った。(以下の見解はすべて個人の意見である。)その職員まず、びっくりしていた。「なぜ日本人と韓国人が中国についての話をするのか」と興味津々であった。そして、そのスタッフの見解によれば、「Chinese」が大きい意味で中国を話す人々のグループを指すらしく、そのChineseの中にMandarinを話すグループがあるとのことであった。さらに、韓国人の友達が「kanjiとの違いは何か」と聞いたところ、スタッフは「日本人にとっては気分を害するかもしれないが、kanjiの始まりは中国である。しかし、日本のkanjiは日本オリジナルの字に変化したためkanjiはkanji、Chineseの分類には入らない」と説明した。私はなぜそのスタッフが初めにことわりを入れたのかが理解できず、「kanjiが中国由来であることは当たり前で、日本の歴史の中でそのように学ぶよ」と伝えたところ、非常に驚いていた。
また8月の最終週には、クラスの中で「それぞれの歴史についてプレゼンしてください」という課題があった。クラスの中には様々な国籍の学生がいたが、アジア人は私を含め日本人3人、韓国人1人という構成であった。日本人は日本の歴史を3分割し、私は平安時代までを担当したのだが、ほかの2人が日本と韓国の歴史についてどれだけ説明するのかと興味を持っていた。一人10分という持ち時間の中、日本の歴史を説明することは非常に難しいというのは明らかである。ヨーロッパの国やほかの大陸に属する国と違い、日本は島国として存在しているため、北海道におけるアイヌ民族との併合や沖縄における琉球王国の併合などの歴史はあるものの、地理的にはほとんど変わらず、大きく他国に侵攻されたこともほとんどない。そこで私を含め日本人たちは、天皇家や戦についてより、衣食住の変化や独自の文化について多く語り、韓国との関わりを話さなかった。実際、日本の日本史でもあまり韓国との関わりは書かれていない。植民地化したことは韓国併合と表記し、豊臣秀吉が仕掛けた戦は朝鮮出兵と表記され、伊藤博文が韓国で行ったことについても教科書では一文程度で終わることが多い。私もその環境の中で育ってきたため、日本が韓国に対して行ったことは大きく知らない。だが、韓国人のプレゼンでは日本に第二次世界大戦期にされた事についてとても強調して話していた。日本によってもたらされた「韓国一番のダークサイド」と表現された。当時の日本人によって行われたとされる韓国人の飢餓状態の写真などを紹介し、衝撃を受けた。(その時クラスのスイス人の友達には「You are bad girl.」と言われ、先生には「Japanese excluded the story about this.」と言われ。(なぜそこまで言われなければならないのかと正直とても遺憾に思った)
このように東アジアの仲が良好とは言い難い。日本には日本側の言い分と歴史があり、韓国には韓国側の歴史がある。中国も同様である。今を生きている我々が現在だけを見て、関わろうとすることは難しい。特に世界大戦期の恨みや苦しさがある国にとってはなおさら、その思いを心にしまうことが難しい人は多くいるだろう。先人の人々がやったこととは言え、我々は無視できない。しかしその一方で、東アジアの3国は文化交流が盛んであるだろう。中華料理、韓国料理、日本料理はそれぞれの国で食べられている。KPOP、JPOPはそれぞれの国で人気があり、観光客も相互に多く訪れている。このような交流を通し、いつか3国がそれぞれ仲良くできる時代が訪れるのではないかと希望を持ってしまうのである。
続いては私が今学びたいと思っていることについてである。まずは、移民についてである。私は「移民が多くいるカナダ」はそう遠くない将来の日本であると思うからだ。永住権が獲りやすいとされているカナダでは様々な国のレストランや衣服店があり、電車を乗っていても様々な人種を見かける。また今のトロント市長も中国人の2世とされていて、様々な国出身の人が入り乱れている。最もグローバル化している国の一つと言えるだろう。日本は、歴史的に他国から侵入し、その国の人々が住み着いたという歴史はさほど持たない。つまり日本人というと先祖をたどっても日本という島国で生まれた日本人しかいないという人々は珍しくない。しかしカナダ人とはどのような定義になるだろうか。カナダ自体ファーストネイションズとよばれる先住民がいるが、そのあとイギリス人とフランス人が多く住み着いた。彼らはカナダ人と呼べるのか。カナダの独立時に国土に住んでいた人がカナダ人となるのか。カナダの国土で生まれた人がカナダ人となるのか。日本人の私からするとこの○○人というのは定義がとても難しい。
私だけかもしれないが、日本人は「日本人」というアイデンティティを大切にしている、というよりもクローズコミュニティを維持したいように思える。現に私もその一人である。私は日本の思慮深いところや日本の伝統文化が大好きで、トロントに来てからも日本の人気さを実感するし、海外からの旅行客が多いことも(円安も関係しているとは思うがそれでも)日本のことをよく思っている人がいるということの証明であると思っている。その日本のアイデンティティが移民を受け入れることで崩れると思っているのだろうか、その状態は日本じゃない、と思っているのだろうか。私にもよくわからない。ただこのトロントのようになった時、それは日本と言えるのかと不安になってしまうのである。
トロントに来てから国旗をよく見る。一般の家だけでなく、遊園地のローラーコースターや文化的な建物、公園の中など頻繁に見かける。またCanada Dayと呼ばれるカナダの独立記念日には花火があげられ、多くの人が楽しんでいた。そういう意味でいうと愛国心がゼロというわけではなさそうだ。(これを言うと国を運営するのに愛国心なんてものはいるのかという新たな疑問が登場してきてしまうのだが。)
グローバル化が進む世界。人の行き来が簡単になる技術の発展。日本の持つ高齢化社会と人口衰退の現状。これを考えると将来、移民を受け入れることは自ずと行わなくてはいけない実情が見えてくるように思える。そのモデルケースはトロントにあるのか、日本にとって最良の選択は一体なんなのか、じっくり学んでみたいと思っている。
もう一つはEmojiについてである。最近、授業のウォームアップで「What is your favorite Emoji?」「 And when you use it?」という質問があった。私は驚いた。emojiは絵文字だったからである。私はそれぞれの国の表記があると思っていたのだ。例えばface iconとかemotional stumpとか言いようはいくらでもあるような気がする。だが英語のキーボードでは「Emoji」と表記される。日本では、私の知る限りガラパゴスケータイがある時代から使われていた。では、絵文字(Emoji)の起源は一体なんなのか。なぜ作られたのか、そしてもし日本発祥であるならば、なぜiPhoneのキーボード(他のスマートフォンメーカーのキーボードは知らない)に存在し、世界中に広がっているのか。さらに、日本と海外で使われている絵文字は同じなのか、違うのか。なぜ使うのか。それがポップカルチャーになるのか分からないがもっと詳しく学んでみたいと思った。
※もちろんどちらも私の卒業論文で調べてみたいことである。
そして最後は人生においての「賢い」についてである。私は21歳と22歳のスイス人の友達がいるのだが、21歳の友達は14歳から、22歳の友達は15歳から働いているという。中学校にあたる学校を卒業する時に高校に進むか就職するかを選べるらしく、就職を選ぶことが普通らしい。そして働きながら最初の数年間はその職業への専門性を学ぶためにその職業の専門学校のようなところに行くという。私のスイス人の友達の一人は時計を製品する仕事についているが彼女の場合その職業専門学校は4年間だったそうで、それぞれの仕事に対してこの学校の年数は変わるという。またスイスでは20年を目処に仕事をまるっきり変えることも普通らしくその際にまた専門性を極めるらしい。日本では中学生卒業、高校卒業、専門学校卒業、短期大学卒業、4年制大学卒業のタイミングで就職となる。また多くの学生が大学卒業のタイミングで就職する。(もちろん私も含まれている)
では、なぜ大学卒業を目指すのか。働くということに対して一番日本人が求めることは何か。それは給与面だろう。働くことで対価が発生し、それが給与として働いた人間に支払われる。これが今の日本の社会の仕組みである。また資本主義の日本の中では多くの人がより高い給与を求め、一般的に大企業と呼ばれる企業に入るほど高い給与を得やすいというのはある種の常識だろう。また、企業の採用情報には高卒、大卒、院卒と給与面が書かれている会社も多く、院卒になるほど給与が高くなる傾向にある。また日本で学歴社会が残っているというのは事実であるだろう。つまり日本では、高学歴になるほど、大企業に入るほど、「お金持ち」になれるというわけだ。
ここでスイスの友達と比べたい。友達は21、22歳であるのにも関わらず、もう既に7年以上働き、自分のお金を手にしている。私は親のお金を借りて今留学しているが、友達は自分のお金を使って留学に来ているらしい。生活力を既に持っている。日本は高学歴(教養がある)であるほど賢いとされることが多いが、それは本当に人生の中で賢いのだろうか。日本の賢いはテストの点数だけで判断される。だが、私は「人生を楽しむ」という中ではスイスのこの生き方も賢いと思うのだ。早くから仕事に必要な知識だけを身に着け、自分のために使えるお金を増やす。教養という面では日本より低い可能性はあるが、この社会的な仕組みは日本にとって画期的であるのではなかろうか。真似するかどうかは別にしても日本はもっと他国の社会の仕組みや会社の仕組みについて知るべきだと感じた。