学生ブログ
トロントでの留学体験記_vol.7
今月は冬の訪れを感じる月だった。最低気温3度や最高気温が10度といった、日本だと十分冬と言えるような季節になった。今月はいくつも公園を回った。トロントは都会でありつつも、ダウンタウンを少し離れるとたくさんの公園がある。公園と言っても遊具があるようなものではなく、緑が多く、森の中を歩けるような公園であり、私の住む横浜よりも楽しく、きれいな景色を楽しくことができた。なぜ公園に行きつきとなったのか。それは紅葉を楽しむためである。トロント中のメープルが赤やオレンジ、黄色、茶色と変わっていく姿を見に行った。公園に行かずとも街路樹は基本的にメープルだったのでトロント中が色づいているようだった。カナダの国旗に描かれていることを納得できるほど、しっかりメープルだらけの国だったという印象が付いた。
また今月は人生初のアイスホッケー観戦に行ってきた。野球だとトロント・ブルージェイズ、バスケットボールだとトロント・ラプターズ、そしてアイスホッケーだとトロント・メープルリーブスとトロントには有名なスポーツチームが多くある。もともと私はスポーツをすることが本当に苦手なので、スポーツ観戦に興味を持ったことはほとんどなかったのだが、トロントに来てからというものスポーツの迫力というものに魅せられ、楽しめるようになってきた。
今月はシカゴへの旅で起こったこと、またジャパニーズアクセントと呼ばれるものについて考えたので記載していこうと思う。
10月11日から14日までベルギー、ドイツ、スイス、日本の4か国の国籍4人でシカゴに旅行として訪れた。片道バスで10時間の長旅。英語もある程度話せるようになったと感じ、仲のいい友達を誘うことができたということもあったので、日本人1人で飛び込んでみることにした。このツアーは日本でいう修学旅行のようなもので、4人1部屋2ベッドで泊まるため、格安のツアーとなっているものである。もともとはスイス人の友達と2人で行くことを決め、ルームメイトを探したところ、同じ学校に通っている子を見つけたためにその2人を誘い、そのまま一緒に回ることとなったのである。(だが結局定員を割ったため、スイス人の友達と2人でホテルの部屋を使うことができた。)
いくつか私にとっては事件があったのだが、それを記述する前に「旅」というものの解釈の違いから感じたことを書いていきたい。私は友達と旅行というと、「友達とどれだけ思い出を作ることができるか」ということにとにかくフォーカスする。だが今回で感じたのは、ヨーロッパ人の友達は「いかに自分が訪れたい、したいことができるか」ということにフォーカスを当てているということだ。これが私から見るとどうしても自分勝手に見えるのだが、おそらくこの目的を達成しようとしているだけなのだろう。(私は未だ共感できない)ヨーロッパ人はと大きく定義したくはないのだが、3か国の友達全員に感じたので今は「ヨーロッパ人は」、という大きな主語が私の頭の中には無意識に浮かんでいる。
まずは「私あなたと写真撮りたくない」事件である。シカゴ旅2か目、朝起きた時点で友達の様子が学校で見る姿と異なっていた。Good morningを言っても帰ってこない、朝ご飯を食べながら話しても話しかけないでと言い始める。一体どうしたんだ!と不安になり聞いてみるも「朝だからテンションが低い」とのこと。それにしても不機嫌のように見えたが、そのまま放っておきホテルを出た。その事件はNavy Pierと呼ばれる岸に行った時のこと、風景がとってもきれいだったため、「Let’s take a picture!」と声をかけてみた。すると一言。「I don’t wanna take pictures.」…え。断られた?写真撮ろうと言って断るという選択肢がないと無意識に思っていた私には衝撃だった。今でもこればかりは寂しい気持ちと、なんでだろうという気持ちが残っている。
次に「私行きたくない」事件。こちらも2か目に起こった。私とスイス人の友達はテレビシリーズのCHICAGO FIREが大好きで、そのモデルとなった消防署に自由時間で行こうと計画していた。そこに行くということをベルギー人とドイツ人の友達にそれぞれ行ったところ、当然の流れで「じゃあ後で合流しよう」ということになった。しかしスイス人の友達が、もしかしたら消防士さんと写真を撮れるかもしれないと口にしたところ、ドイツ人の友達だけ行きたい!と言い始めたのである。私は彼女らにももともと計画していた予定があるにも関わらずそれを言い始めたことにまず驚いたが、それに対してベルギー人の子は行きたくない!と主張したことにさらに驚いた。そこからは何の話をしたのかは正直知らない。ドイツ人の子は100パーセントで行きたい、ベルギー人の子は私を置いて行ってくれ、スイス人の子はそれならもう4人で行けばいいじゃないか、など3人の意見が折れないという事態になったため、私はだんまりを決め込んだからである。端から見るとけんかにしか見えない状態が5分、10分ほど続いたころ、私はうんざりして「じゃあその子を置いていくことにしよう、その代わり一人になるからどこか屋内にいてね」と伝えた。こんなこと初めての経験だったが、誰も折れないなら時間が過ぎ去っていくだけだ。一番もったいないと思ったためにそう言った。そして結局3人だけで行くことになったのだが、その際誰も謝罪がないことに驚いた。「行く予定だったのに予定変えてごめん。」「行きたくない気持ちを通して合わせられなくてごめん。」どちらも一言言ってもいい気がした。そして無事楽しみ再合流できたわけだが、その時にもスイス人がベルギー人の子に対して「You missed something.」と一言。これもまた余計な一言を、と思ってしまった。
そして最後に「私待てない」事件である。最終日、ドイツ人の友達が熱望していたカフェに夜ご飯を食べるため訪れようと思っていた。旅の初めからその子は行きたいとずっと主張し、私も賛同していたものの、ほかの二人が「後で」「またこの後に」とどんどん先延ばしにするために行けていなかったのである。そこでスイス人の子が夜ご飯としていくことを提案してくれた。そして最後のフリータイム。時間としては2時間ないくらいだった。人気店であることは知っていたが、ざっと30から40人ほど並んでいたように見えたので「先頭まで見てくるよ」と言い、そして戻ってきたところ、ベルギー人とスイス人の友人が列から離れようとしていたのだった。そして二人は「Do you wait?」と一言。もちろんと返すと二人は行き去ってしまった。一人ぽつんと列にいたドイツ人の子に事情を尋ねると、二人は「こんなに長い列で待てない」、「時間通りにバスに戻れる気がしない」、「ほかのところに行く」、と言ったという。私は怒りを抑えられなかった。シカゴの街に18歳を一人で置いていける神経が、自分たちが先延ばしにしたにも関わらず相手の希望を一つも聞き入れない神経が許せなかった。ドイツ人の友達も寂しそうな表情はしていたものの、私のほうが感情的になっていたのは明らかだった。私は不思議に思い、「なんでそんなに感情を抑えられるのか」、「私から見て今回の旅はselfishと感じた部分が多かったがなぜ怒らないのか、どう感じているのか」と聞いたところ、彼女は「1日を10分割したとして、嫌だったり納得いかないことが2、3あったとする。でもそれ以外のプラスの出事だけを抽出したらその日はgood dayと言えるでしょ?」とのこと。すっと心に入ってきた。確かにそうだと心から思えたと同時に、素敵な考え方だなあと思った。
初めてのことだらけで学びも多かった今回の旅。これまでの文だけを読むと全く楽しくなかったようにしか見えないが、これは楽しいという感情になれなかった2,3を取り上げただけである。もちろん楽しかったこともたくさんあったし、おいしいものも食べれたし、友達との思い出もできた。行けて良かったと思っている。
次にジャパニーズアクセントについて。数か月前に、各言語体系に影響して英語アクセントが発生すると記述したが、今回はジャパニーズアクセントにフォーカスしていこうと思う。今月日本人の同い年の子と新しく友達になれたのだが、その子の英語の発音に日本語っぽさを感じなかったので、なぜ私には強く残っているのか、私と何が違うのか気になったから考えてみようと思ったのである。
まず初めに日本語と英語を発生する上で何が違うのか。一番大きいのは母音の数だろう。日本語は「ン」を除くと母音は5つしかない。だから体感では口腔内だけを使っているイメージで音の分かれ目がはっきりとしているように感じる。しかし英語の母音はすべてで16個あるという。日本人の私からすると、日本語の5つの間の音が英語の母音になっているように捉えてしまい、違いを認識することが難しい。また英語を使うときはこれもまた体感であるが、口腔内だけでなくもっと喉の方を使うイメージがある。さらに子音に関していうと、日本人が特に難しいと感じるのは「TH」「S」と「L」「R」の違いだろう。舌の位置が一番違いを出す要因だが、どちらも「ス」と「ラ行」、と混同しているケースは有名だ。
ここでジャパニーズアクセントと友達の話に戻りたい。その子は子供時代にエレクトーンを習っていて、音感があるという。ちなみに私には全くない。もちろんこれは私の推測でしかないが、耳がいい人は英語の発音を習得しやすいのではないかと考えた。音の高低や繋ぎ目をとらえやすいと思う。それを捉えられさえしたら、あとは真似すればいいという考え方になるだろう。友達に聞いたところ、英語の発音だけでなく、フランス語も真似だけならできるそうだ。「聞こえたものをそのまま真似すればいいだけだよ」と彼女は簡単に言うが、私も真似しているつもりなのである。正直私の英語の発音は改善されていると思っていた。しかし彼女の英語を聞き、自分の英語を録音して聞くと、違いに驚くものの何を変えたら彼女のような発音に近づくのかが本当にわからないのである。だから私は、ネイティブスピーカーの本物の音程を聞いて真似していくのがベストの発音矯正法なのではないかと感じている。
これは母音に関する余談となるが、今月フレンチスピーカー二人、日本語スピーカー二人でカラオケに行った。フランス語も子音一つに対して母音一つという日本語とは違う音の組合せをしているが、カラオケで歌っているところを見て私はとても驚いた。二人の発音のタイミングがバラバラだったからである。音の切れ目がバラバラということだ。日本語は長い音符だろうと短い音符だろうと早かろうと遅かろうと一音に対して一音の文字を当てはめることができるが、そうではないのだろうなと感じた。だから、洋楽を歌えるようにするというのも一つの発音矯正法なのかもしれない。母音の移り変わり、子音の入るタイミングを合わせられたら、英語の発音がよりきれいにクリアになる可能性があるのではないかと感じられた。