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2025.04.17

トロントでの留学体験記 vol10

トロントでの留学体験記-vol.10

 少しずつ日が伸びていくのを感じ、一月下旬には5時くらいまでは日没までの時間が伸びた。日照時間が長くなるはずなのに、気温が12月よりもぐんっと下がった。最高気温だとしてもマイナスであることは当たり前、体感気温はマイナス22℃になることもあり、ただ外に立っている、歩いているだけで顔が凍てつくように痛かった。大雪の日も体験することができ、その証拠に今でも私のブーツには融雪剤の跡を表す白いシミがついている。実際にあった現象は、雪が降っていた状態だった公園に雨が降り、一度その雪が解けた後に、朝と夜の気温のせいでそのみぞれが氷となり、最終的に道路がアイススケートリンクになっていたといったものだ。初めての雪の体験だらけで興奮する日々であった。家では夏同様、家全体を温める暖房が設置されており、凍えることはなかった。(トロントにいた時はこのことに全く気付かなかったのだが、今この体験記を書いている2月の日本での室内の寒さに驚き、環境の違いを学べた。)家の中だけに限らず、地下鉄のホーム、車両の中、そしてお店の中など、どこもかしこも屋内にさえ入れれば寒さを凌ぐことができた。その中で興味深かったのは、トロントのダウンタウンに設置されている「PATH」と言われる地下通路である。地下鉄の改札から直通で進むことができるこの通路は、ダウンタウンにあるトロントの大企業が地下通路をそれぞれ作り、つながっている仕組みである。私からするとこのPATHを見つけた時、まるで地底都市、秘密基地みたいだと思い、とてもわくわくした。そしてそこでホームレスを見ることがなく、トロントで見てきた場所の中で一番きれいだったに間違いない。そして毎日毎日寒いと言いつつも楽しく過ごせたこともまた間違いない。

 さて最後の月である今月は、最後の月に起こったアクシデント、多国籍の社会と多国籍の親を持つこども、本当の優しさについて記していこうと思う。そして、10か月をまとめての総括と私が卒業の日にスピーチしたスクリプトも残しておきたい。

 

 まず初めに1月という最後の月に起こったアクシデントについて私自身も忘れないように書き出しておいておこうと思う。1月11日私はひったくりの被害にあった。夕方ごろに友達と会うために待ち合わせの連絡をホームでしていたところ、後ろから女の人にひったくられたのである。ホームレスのような格好ではなく、清潔そうな恰好をしていたことと、トロントは安全であるという強い思い込みにより油断していたことが原因であるだろう。何が起こったのか一瞬分からなかったものの私はすぐに追いかけた。人はいざというときに本性が出るというが私は、呆然と立ちすくむタイプではなく、どうやら追いかけ何とかしようとするタイプだったらしい。今思うと今までの人生の中で一番大きい声で叫び、今までで一番速く走っていたと思う。エスカレーターの途中でそのひったくり犯に追いつき、ジャケットの襟を掴み後ろに引っ張ることはできたものの、私が背後に立っていたということもあり、逆にそのひったくり犯の腕が私の頬に強く当たるということになってしまった。私の方が落ちかけたために、一瞬で見失いそれ以上は追いかけられなかった。お昼の時間で多くの人がいたにもかかわらず、一瞬のできごとで何が起こったのか分からなかったのか、それとも無関心だったのかは分からないが特に誰も助けてはくれなかった。正直なところ、まあまあの数いた公共交通機関職員がすぐに助けてくれなかったことには腹が立った。私は泣きじゃくりながら、その職員たちに何が起こったのかを1時間半ほど説明した。彼らはたくさん「I’m sorry.」と言ってくれたが、だんだん言われるうちにそれにも腹が立ってきた。私が遭ったことだから私の責任だが、もっと他に言える言葉はないのか!残念がるだけでなく何か有効な手段や行動で助けてはくれないのか!とフツフツと怒っていたことを覚えている。

 そのあとはもう忙しかった。どう日本の親に連絡をしようか、盗まれたスマホを悪用されないようにするにはどうすべきか、写真などのデータは戻ってくるのかなど、心配事は尽きず、ひったくられてから3日間はほとんど何も食べれなかった。結果的に新しいスマホも自身で買えたし、データも戻ってきた。文字で言うとなんだか簡単に終えられたように見えるがもう本当にきつかった。もうあんな思いは二度としたくない!!!と心の底から思った。

 そして1月に起こったトラブルはこれだけではない。それは保険についてである。2024年の6月に体調が悪かったために病院に行ったのだがそのインボイスが12月23日に届いたのである。まず6月に病院を訪れた際に海外保険を提出したので私は勝手にその時に終わったと思っていたのでまず届いた時点でびっくりした。1月に帰国をするというのにどうしたらいいのかと学校の日本オフィスのスタッフに相談し、保険会社に改めてインボイスをメールで送信することにした。年末ということでお休みに入ることを心配していたが何とか保険会社の方から「財務部門に送れたため。そこが払えば終わる」という旨の連絡を受け取ることができた。一安心していたところ、1月16日に2度目のインボイスが届いたのである。保険会社に電話するともう終わったと言われたものの、病院からは何も支払われていないと言われ、念のためと言われ二度目のインボイスを送った保険会社からは返信で財務部門が送ったかはまだ分からないと言われたのである。終わり次第連絡すると言われたものの、なかなか来ない。催促のメールをしても「待ってくれ」の一点張りで何も進まない中、1月29日に3度目のインボイスを受け取ることとなった。31日に帰るのに流石に遅すぎるということでもう一度保険会社に電話し、30日までに終わらせ完了メールを私に送信するということで話を付けた。日本ではクレームを入れたことなんてないし、英語で怒りを他人に表すということもなかった私がそれを最後の最後でしていてだいぶ切羽詰まっていたことを今になって感じる。31日になってもメールは来なかったため、実際にもう一度自分から保険会社に連絡し、念のためということで病院にも電話をし、結果としては無事終わったことを確認した。この一連の一件に関してももう経験したくないと本気で思った。

 

 次に多国籍について考えていきたいと思う。私の友達の中でベルギーから来た女の子が一人いるのだが、彼女の両親はスペイン出身だという。スペインからお互いベルギーに来て、ベルギーで出会い、ベルギーに今も住んでいるという。私のその友達はフランス語が第一言語で二番目が英語、そして3番目に両親の国の言葉であるスペイン語が来るという。またある友達はドイツから来たが、父親はドイツ出身で母親はロシア出身だそうだ。彼女の場合は小さいころロシア語もペラペラだったというが今となっては忘れている部分も多いと教えてくれた。最後に紹介する友達はチリから来た友達で両親が中国から移住したという。彼の祖父母は中国にいるため毎年中国に行くが、第一言語はスペイン語だと言っていた。一人の先生は初めてましての新入生に対して「Where are you from?」ではなく「What is your first language?」と尋ねていた。また初めに話したベルギーから来た友達は自分をBelgianと自称していた。

私たちは日本に住む人を日本“人”と呼ぶ。私たちは日本語を話す人を日本“人”と呼ぶ。私たちは日本で生まれた人々を日本“人”と呼ぶ。この考えに私は突如疑問を持ったのである。

英語で「Where are you from?」という質問は日本だと「なに人ですか?」とイコールにされることが多いと思うが、もしかしたらその日本訳自体が違うのかも知れない。というのも「なに人」という定義が大変難しいからである。

 日本は島国ということが強い特徴となり、日本史を日本国土の視点からのみで説明することが可能だと思う。もちろん近隣国との交流や世界大戦など他国との関わりは歴史上多くあるが、国が侵攻され、領土が大幅に奪われたり、民族が大きく変わることはなかった。だから私たちは「日本人」という表現を使いやすいのではないかと予想する。そして移民制度が日本ではまだあまり発達していないように、日本はクローズコミュニティーを作りやすい。日本語を話せる民族自体が少ないこともここに関係していると思う。だが他の国はどうだろうか。ヨーロッパ諸国はEUという国を超えた共通意識を生み出すまとまりがあるし、歴史から見ても侵攻する・されるのを繰り返してきた場所である。カナダに関してはもっとわかりやすくカナダ人の定義が難しい。ファーストネーションズはもちろん先住民であるが、そのあとフランスに侵攻されイギリスに侵攻された土地がカナダである。ではルーツをフランスに持つカナダに住んでいる人は日本の定義で言うとなに人になるのか、イギリスルーツの人々は?またさらに移民の人々のアイデンティティはどこにあると言えるのか。このように日本の物差しで測ると名付けられないものばかりなのである。

 そうしていくと段々と国籍というものもあやふやになっていくことがわかるだろう。日本でハーフと呼ばれる人々について考えてみたい。第一にハーフという響きが納得いかない。ミックスとかダブルとかほかに言い方がある中で、なぜ「半分」なんてマイナスの表現を取ったのかと思うからである。はじめの方で紹介したドイツから来た女の子は父親がドイツ出身、母親がロシア出身とのことだったが、自分をGermanだと自称していた。また別の友達はフランス出身の父とスペイン出身の母親を持つ女の子だったが、フランスのことが大好きで多国籍のアイデンティティが大好きなようであった。

 これからの未来、多くの人が国を移動するだろう。そして国籍を飛び越えて結婚をし、それぞれに合った場所で生活をしていくことがどんどん当たり前になっていくだろう。だから私はもっと多様性を受け入れられる人間になっていきたい。これは日本に対する愛情をなくすと言っているわけではない。自分が生まれた国の文化を大切にすることと、多文化・多様性を受け入れることは両立できる。そしてこの考え方は多くの日本人にもまた必要なことだと思うのだ。

 

 最後に「本当の優しさ」とは何かについて記述していきたい。私は10カ月間ホストファミリーの中で生活してきた。多くのホストがビジネスとしてやっている中で、私のホストは私を本当の娘のように気遣ってくれた。自分の学校でホストファミリーについて聞くと、水やトイレットペーパーを自分で購入しなくてはいけない家庭や、ダメになっているご飯を出す家庭、決まった時間に帰宅しない限り夜ご飯がない家庭などを聞いた。コミュニケーションを活発にする家庭は友達たちの話を聞く限り大変少なかったように思う。だがその中で私のホストファミリーはキッチンを自由に使わせてくれた、おいしい水を用意してくれて、間食用のお菓子やフルーツを常に常備してくれた。いつでも友達を家に呼べ、その時にはホストママが友達の分まで料理を用意してくれた。(ふつうは呼ぶことも禁止している家庭が多く、契約していない友達のご飯まで作るというのはあり得ない状態であったと言える。)いつでも相談に乗ってくれ、さらに時間が合えば地下鉄の最寄り駅まで車で送り届けてもくれた。

 この尋常でない優しさの中に10ヵ月いると、「本当の優しさ」とは何かについて考えるようになった。ホストパパはこれをTruly Loveと表現していた。彼曰くこれは、恋愛的な愛情のことではないという。見返りを求めたものではなく、人に対して慈悲深くいること、困っている人がいたら無条件に助けることだという。ホストパパはよく「この車は自分のものではない、みんなのものだ」と言っていた。ホストパパは北米の中でも大企業に勤めていたことが分かり、私に私が払っている以上の食べ物や飲み物、また社会団体に多くの寄付をしていたので、お金持ちだねーと言ってみると、「お金持ちであるわけじゃない、このお金はみんなのために使うものを買うためのものだから」と教えてくれた。

 資本主義の中で生き、誰もが自分の幸せを追求している中で、もちろん私はこの流れに侵されていた。常にどこか他人と比べ、将来豊かに暮らしたいと思っていたし、それ以外の考えを知らなかった。だがこのホストファミリーに出会い、生活できたことで無条件の優しさとは何か、本当に優しい人を知ることができ、いつか自分も彼らのようになりたいと思えた。

 

 11月より3カ月間私は語学学校内で生徒会長として活動していたため、卒業の日にスピーチをした。そのスクリプトを記念に書き記しておく。

Hello everyone, my name is Hiyori.

I’m sure some of you know who I am, and some of you may not. I’m the president of the student council, and I’m truly grateful for your time today.

 

In April 2024, I came to Toronto. I remember feeling incredibly nervous, wondering if I would be able to make friends or improve my English. But I was lucky— I met so many wonderful friends. Everyone here has been so kind and polite, and I’ll never forget the beautiful moments we’ve shared together. I also had the privilege of learning from amazing teachers. They listened carefully when I spoke, and whenever I made a mistake, they helped me correct it. That’s why, although I was initially afraid to speak English, I’m now more confident and truly enjoy studying it. In addition to learning English, I’ve also had the chance to learn about the cultures of my friends. Thank you all for teaching me about your countries.

 

Lately, I’ve been thinking about why we study English. With tools like ChatGPT and Google Translate, we have access to incredible technology that can help us understand and communicate. But why is it important for us to speak English ourselves? I think the answer is simple: communicating face-to-face is the most powerful way to express our feelings, connect with others, and truly understand each other. When we speak to someone in person, we don’t just use our ears—we see their hands, their eyes, their expressions. We can feel the joy of real communication. And that’s something no technology can replace. So even as AI and translation tools keep developing, I believe we’ll always want to speak to each other in person. And as long as we want to connect with your friends all over the world, we’ll keep studying English. This has been one of the greatest lessons I’ve learned over the past 10 months.

 

Finally, I want to express my deep gratitude to my friends, teachers, and the EF staff who have supported me. I hope all of my friends will continue to study English and keep growing. I hope your happiness. Thank you so much.

 

 21年間の人生の中で間違いなく一番充実していた300日間。新たな文化に触れ、たくさんの人に触れ、英語を使う楽しさを知れた300日間。一日も無駄にすることなく全力で学びきり、楽しむことができた。これからの人生でこの経験を最大限どう生かすかを考えていくのが新たな私の目標である。まずは復学する2025年度から。

 

さて、次は何を新しく学び、何を私は毎日考えていくのかな。

 

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