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卒業生インタビュー2022.01.26

卒業生インタビュー(1) 原響希さんに卒業後の活動を聞きました

インタビュアー:文化学科4年 加藤麟 尾上けやき

 

文化学科の卒業生、原響希さんにインタビューをしました。原さんは、文化学科を2018年に卒業後、今年の春に東京藝術大学の油絵科に入学されました。今回は、原さんがなぜ文化学科から藝大を目指したのかということや、原さんの作品との向き合い方などを伺いました。インタビューの後に、原さんが所属していたゼミの木村覚先生を交えて、アフタートークも行いました。お話を伺うなかで、原さんの芸術観が垣間見え、非常に刺激的な時間でした。

まずは、藝大受験に至るまでの経緯をお聞きしました。

 

〇藝大受験と文化学科での学び

加藤(以下、K):藝大受験のきっかけを教えてください。

 

原さん(以下、H):高校生のときにも絵を描きたくて美大受験を考えていましたが、そのときは家庭の都合もあり出来ず、それでも美術にかかわりたくて、座学で美術を学ぶことが出来る日本女子大学を受験しました。そしたら、木村ゼミで美術好きが悪化しました(笑)。

卒業後は一度就職し、そこで貯めたお金で大学院に進もうと考えてたのですが、言葉で解き明かすよりも、自分を表現することがしたい、作品を作りたいと思って、美術予備校に入りました。そしたら、予備校の先生にそそのかされて(笑)、また学費も私立はかなり高いので、藝大受験を目指しました。

 

尾上(以下、O):油絵科というのは、最初から決めていたのですか。


H:そうですね。ここ(文化学科)で勉強していたのも西洋美術が多かったし、ずっと油絵が好きだったので。見るほうでも。

卒論で書いた、ヒエロニムス・ボスも油絵の画家で。油絵科に進むことに迷いはなかったですね。たぶん描きたいのも油絵かなと。

 

K:藝大に合格するまでに何浪かされたということを伺いました。それまで絵をたくさん描くことをしてきたわけではないならなおさら、大変な思いをされたのではないかと思います。

 

H:はい、結局予備校には二年通いましたね。一回目の受験は一次試験で落ちてしまったのですが、次こそはいける気がして(笑)、二回目は受けようと決めてました。で、二回目で受からなければ、浮いた学費で外国にでも行っちゃおうかなという気持ちでいました(笑)。

二年目の時は、一年目のように毎日予備校に通って、毎日描いて、というのではなくなっていました。油絵科って、ひたすら描けば受かるというわけではないんですよね。上手くても落ちる科で。だから自分の考えていることだとか、感じていることを、すごく大事にして、しかもそれを試験で表現するっていう、多方面で準備が必要なんです。二年目は、映画を観たり、美術館に行ったりとか、絵を描く以外の時間をつくっていましたね。それで、無事二回目で合格しました。

 

〇美大の予備校でのこと

O:予備校の先生って、漫画(『ブルー・ピリオド』)で読むとすごい特徴的に描かれていたんですけど、特に主人公の先生とか。原さんが行かれた予備校はどうでしたか。

 

H:油絵科の予備校の講師って、藝大生しかなれないんですよ。だからそこで既に特徴的な人が集まっていて、さらに油絵科のなかにも、リアルに描写する先生もいれば、感情的に描く先生、コンセプト重視の先生、と色んなタイプがわりと一通りそろっているという印象ですね。

話すのは得意じゃないけど、共感したりだとか、生徒の“なにか”を言葉じゃない形で見つけるのが得意な先生もいれば、思考が論理的なタイプや知識が豊富なタイプもいて。色々いらっしゃいます。

 

〇コロナ渦の藝大

O:コロナ渦で藝大に入って、何かギャップはありますか。

 

H:入学式の後に必ずあると言われてるお花見も、大きな講評のあと教授や助手と一緒にやるお疲れ様会もなかったです。あと、一番大きいのは藝祭で一年生はお神輿を作る伝統があるんですけど、それをやれなかったことですね。

ただ、講評は対面で、学校の中のアトリエも使えるので、楽しいイベントがなくなったくらいですね。結局芸術は個々の作業なので、そこはあまり影響がないのかなと感じますね。

 

〇原さんの作品について

K:個展には行けなかったのですが、もしよろしければ、コンセプトと作品について、語っていただきたいです。勝手ながら、個展のサイトに載っていた作品と、コンセプトの「自分の皮膚を剥ぎ取ることで、私の痛み、世の中の痛みを、世界に返す」という言葉を見て、感想を考えてきたのですが、お伝えさせていただいてもよろしいでしょうか。

 

H:ぜんぜん!ありがたい。嬉しいです。


O:ではまず私から言わせていただきます。自分の感情を皮膚に喩え、しかもそれを「剥ぎ取る」という強い言葉で切り取り、それによって、自分自身や社会に生きている人々が感じる、様々な生きづらさのようなものを、作品に返還し、表現しているように見えました。どうでしょうか。

 

H:そのまんまですね。でも、個展から時間が経っているので、また色々考えていて。コンセプトの文は、ただ出てきた言葉として当時は載せていたんですけど、後々考えて、それってどういう感覚で自分のなかから出てきたのかなって。

たぶん、共感してほしいという面もあるんですけど、自分の痛みや世の中の痛みを記録していきたいというか、のこしていきたいという感覚がもしかしたらあるのかなと思って。

自分の痛みと社会の痛みって、交わる部分があると思うので、特にその交わった部分を抽出して、それを手で記録するっていう言い方が正しいのかな。

 

O:日記みたいな?

 

H:そうですね!…なんだろうな。エジプトとかの、パピルスに感覚が近いのかなって最近思う。

 

O:あ~、おもしろいですね。

 

K:私は、ピカソの《ゲルニカ》みたいだと思いました。部分的に何かにみえるようなものが混じり合っていて、言葉では言い表せない強い感情を感じました。まるで作品そのものが皮膚のようで、痛みを見せられているような苦しみと、痛みが取れた安心感のようなものを感じました。特に、作品の側面をほつれさせている部分が、皮のようだと感じたのですが、実際はどのようなことを意識して制作されたのですか。

 

H:四角を崩すことは、もちろん意識してやっていて。よく見る絵って、木枠にピーンってキャンバス布を張ってるんですよ。あのピーンとした四角の角が、どうも苦手で。柔らかい麻布を買い、わざとほつれさせて作ってます。また、既に完成されたキャンバス布を使うのではなく、自分で買った麻布に自分で作った下地を塗ってここにしかない支持体を作ってます。絵を描く以前の支持体作りに、結構時間をかけてます。

布のほつれを出したり、膠(動物の骨、皮などを煮て作られる一種の糊)を麻布に塗り、糊の効果によって少し固さを帯びた布にしたり、絵に薄い膜を張らせることで鞣し革の様な質感にしようとしました。

その作り方が、ミイラの作りと似ているということを最近知って。ミイラって、死体に長期保存の処置を施してから、麻布を包帯みたいにくるくる巻いて、膠(糊)を塗って目止めをし、そこに文字や絵を記して、さらにその上に蜜蝋を塗ってコーティングしていたらしいんですよ。私の絵の作り方とすごく近いなと思って。

ミイラって亡くなったその人の死後の世界はもちろん、その人自身の情報を記したり模してて、それが自分のなかでなんだかしっくりきて。言葉にしづらいんですけど、どっちかというと、ミイラの皮で、記録できていったら、もしかしたら感覚としてはあの絵に一番近いのかなって。

たぶん、思考的には、この実際の皮膚と同じなんですよ。自分っていうものの情報を剥がして、それに記録されたものを、みんなに見せていくみたいな。ただ私、割と素材が好きなので。

素材は、(実際の皮膚に似ている)ゴムじゃない、あの麻布だからっていうのを考えたときに、時間が経ったものっていうのかな…言葉にしづらいんだけど、最近はそういうことを考えて、今新しい作品を作っているところなので。

 

O:ちなみになんですけど、その個展には、他の作品もあったんですか。


(個展のサイトに掲載されていた作品)


(ミイラづくりのようにつくられた作品)

H:わりと、人工的な力が加えられた皮に近いのかも。

でも私、お二人の、感想がおもしろいなって。

やっぱり絵って、人に見せて、その感想を形で見るのが一番広がりを見せるなってすごい思う。《ゲルニカ》っていうのも、加藤さんから出た感想じゃないですか。

なんだろうな、私だけの作品じゃなくなる感じ。

 

O:それはウェルカムなんですか。

 

H:そのほうがいいです。絵って勝手に見てもらうほうがいいんですよ。作品は、鑑賞者の勝手です。

 

O:おこがましいかなって思っていたので…。

 

K:原さんご自身も、自分の作品を振り返って、自分ってこういうことを考えていたんだなとか、こういうことを言いたかったのかもしれないって、あとから気づくことがあるんですね。

 

H:それの繰り返しみたいなところは、やっぱりありますね。ずっと終わりはないので。なんなら私自身も常に毎日変わっていくので。それに加えて飽き性なところがあって、すごく絵が変わるんですよね。

正直、今回の個展の絵も、展示が終わったあとに一人で反省会をしていて、反省点がいっぱいあって、しばらく絵を描きたくないみたいな感じになって(笑)。

でも描かなきゃいけないので振り返っていて。あと講評とか、さっきみたいな感想は、自分の視点が広がるし、次の作品に確実につながるので、ほんとうにありがたいです。

人によって全然見るポイントが違うので。さっき《ゲルニカ》の話に出た、色んな要素が入っているっていうのは、意識してやっていたところだったので、そういうことを、この人は拾ったんだとか、この人はこれがこう見えたとか、そういうのがおもしろい。

あと、全然関係ない友達が、一個の絵で同じような感覚になっていて、そういうのもおもしろい。展示でそういうのを見られるのは楽しいですね。

 

〇将来のことについて 

O:将来、作家としてどのように活動していきたいとお考えですか。

 

H:いまだに悩んではいます。もちろん、作家として作品が売れてっていう状態はあってほしいですけど、他にも何かしながらということになると思いますね。今は、作家としての自分を固めつつも、藝大で教職をとろうかなと。あとは、もともといた予備校で講師をしながらとかですね。

だから、一番見えやすい将来は、どこかで先生をしつつ、作家をするというのが現実的かな。

でも作家は絶対続けていきたいですね。

 

O:芯が通っていて素敵です。

 

H:ありがとうございます。あんまり夢のある言い方できなかったけど(笑)。

 

O:いえいえ!そんなことないですよ。

 

 

アフタートーク~木村先生の研究室で~

 

〇文化学科について

木村先生(以下、S):入学するまで、文化学科ってどんなイメージだった?

 

H:手広く、色んなことを学べるイメージでしたね。それで、美術を学びたくて、描けないなら、それにかかわる勉強をしたいなと。

 

S:それは知らなかったな。ところで原さん、卒論を書き始めてから、人格が変わったんだよね。四年生の後半から、必ずといっていいほど、ゼミで質問するようになって、その質問のクオリティーが、回を重ねるごとに、相手がどういう研究をしているかという理解とか、そのなかで足りない部分への意識とか、そういうことがすごい高まっていくわけ。

おのずと本人の卒論のレベルも上がっていった。だから、人が成長する過程を、生々しく見せてもらったっていう印象が強いんだよね。あのとき、楽しかったでしょ?

 

H:卒論のときって色んな本を読むから、自分のなかで知識が増える分、たぶん発言の自信というか、思考の裏付けができる分、こういう思考があるっていうのを考えやすくなる。

 

S:気づく数が増えていったり、質が高まったりしているという感じだよね。他人の研究発表を理解したり、さらにそれを深めてやろうと思ったりするのは、少し難しいじゃない?でも、そのつもりでちゃんと研究発表を聞くし、そのつもりで気づいたら質問ができると、明らかに自分にフィードバックもするし、相乗効果ですごい良い時間になるよね。

 

O:参考にさせていただきます!

 

〇作品制作のこと

K:もともと藝大生のイメージが、作品をつくることが中心で、上手であれば上手であるほどいいと思っていたのですが、さきほど、ただ上手だから合格するというわけではなくて、思想的なところというか、どういうふうに自分がその作品をつくったのかというのをすごく大事にされていると思って。そういう絵の技術だけでないところって、感性を磨くという言い方が正しいのか分からないのですが、難しそうだと思いました。

 

H:勉強と同じで、やればやるだけというのであれば、やればいいんですけど、当然絵自体のバランスも見られないといけない、それから何を考えているかが、最近ほんとうに大事にされていて。受験の課題がとても抽象的なんですよ。

 

S:例えばどういう?

 

H:例えば、「絵をかきなさい」が、課題です。

 

S:素朴に考えれば超シンプルな課題だよね。それを抽象的って思うって、どういうことなの?「絵をかきなさい」で絵をかけばいいのではなくて、「絵」とはなんなのかっていう、概念を巡って、何やら自分で考察を深めるとか。

 

H:その人のなかでの「絵」を定義づける。当然正解はないんですけど、 その定義がどれだけその人のなかで確固としたものになっているかっていうのは、特に現役生だったら、自分だったらメンタル的に無理ですね。

 

S:大喜利みたいなものだよね。大喜利だけど、笑いにゴールがあるわけじゃないから、ある意味でもっと抽象的だよね。笑わせればオーケーではない、もっと謎な大喜利が、そういう問題なんだよな。

 

H:教授の目も鋭くて、ちょっとでも何々ぽさとか、わざとらしさっていうんですかね、そういうのを見てくる。だからわざとらしさもわざとらしく見せないとか。

 

S:超考えていながら、あたかも無意識のように。

 

H:そう!ほんとうにそれです。

 

S:でも原もギャラリーのときに言っていたけど、無意識ってすごい大事で、無意識レベルをちゃんと保っていることと、でも、自分がやっていることをある程度は言語化できたり、理論化できていることも大事で。

でも同時に、理論化できていることだけが良いんだったら、理論書いていればいいわけで、そんな話じゃないってところが大事で。この無意識とどう対話できているか、みたいな。そこが謎かつ、興味深く、おもしろいとこだよね。

 

H:今、前に通っていた予備校で講師やっているんですよ。教える側で、絵の話ならいくらでもできるんですよ。知識としてあるものを。優美でいうところの技はいくらでも教えられる。だけど、何か違うけど、これ何が違うんだろうっていうのは教えるのが難しくて。でもそれも教えられなきゃいけないんですよね。

 

S:二人の作品が並んでいて、片方が明らかに良いんだけど、それってそう簡単に言語化できないし、その良さをもう一人にやらせるなんて、そういう話でもないわけじゃん。

 

H:むしろそれは駄目ですね。良い絵に影響されてしまうと。特に藝大受験の合格者の作品って、絶対に影響されるので。合格作品を公表するけど、出したほうがいい面と、出さないほうがいい面があって。やっぱり流行っちゃうんですよ。それこそ無意識でも。

でも、ほんとうにこれ、君のなかから出てくる?っていう。

 

S:ポップソングとかも、まったくもってそうだよね。YOASOBIが流行ると、あらゆるものがYOASOBIに聞こえたりするじゃん。でもそれは永遠にYOASOBIを超えられないわけで。やっぱりYOASOBIに影響を受けるからには、YOASOBIじゃないものをやって、結果YOASOBIのレベルに達しないといけないわけで。そこが大変なんだよね。

 

(2021年11月1日 インタビュー収録 日本女子大学目白キャンパスにて)

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