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卒業生インタビュー2022.02.10

卒業生インタビュー(2) 万里紗さん 後半

こんにちは。

文化学科4年 中島です。

文化学科はその学びの多様さが魅力的な学科ですが、

卒業生がどのようなキャリアを歩んでいるのか、気になる方も多いと思います。

そこで今回、文化学科を2013年度に卒業され、女優・翻訳家・ナレーターとして現在ご活躍されている万里紗さんにインタビューをさせていただきました。

文化学科の杉山先生もお招きして、いっしょにお話を伺いました。前半と後半に分けてお届けします。

(写真上から、万里紗さん、杉山先生、中島)







万里紗 MARISSA|アルファエージェンシー (alpha-agency.com)

万里紗 / Marissaさん (@marissa_indigo) / Twitter

万里紗 Marissa(@marissa_indigo) • Instagram写真と動画







多岐にわたる活動

中島:万里紗さんは現在、女優・翻訳家・英語ナレーターとしてご活躍されています。

具体的にどのようなことをやられていますか?

 

万里紗さん:女優業では、映画やドラマを主戦場にしていらっしゃる方もいますが、私は舞台を中心に活動しています。

舞台は日本の場合ざっくり言って3種類の製作体制があります。商業演劇、小劇場(主に演出家や劇作家など、アーティストが主宰してやるような公演)、公共劇場(売上よりも作品性を重視する、例えば東京芸術劇場や新国立劇場など)があります。細かい定義を丁寧に話し出すとすごく長くなるので、雑な説明ですがお許しください。私はそれら3種類をバランス良くやる感じで仕事をしています。

(2017年 日韓文化交流企画《ペール・ギュント》チラシ)

杉山(敬称略):数年前にわりあい大きな役で出演されていた、日韓合作の《ペール・ギュント》、あれはどのパターンですか?

 

万里紗さん:公共劇場です。新国立劇場とおなじパターンで、世田谷区の税金で運営している劇場の公演で、文化交流のための助成金も出ていたかもしれません。


翻訳業は、「信濃追分文化磁部油や」で作品を立ち上げる企画の際にお声がけいただき、初めて挑戦しました。その評判が悪くなかったみたいで(笑)、その後もちょっとずつ翻訳のお話を頂くようになったという、という駆け出しのところです。





(初翻訳作品 “A WALK IN THE WOODS”)

油や(中山道軽井沢追分宿) | 信濃追分文化磁場 (aburaya-project.com)






 英語ナレーションは、NHK WORLDの「no art, no life」という番組でやらせていただいています。https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/ondemand/program/video/noartnolife/】







中島:女優からナレーターまで、多岐にわたってご活躍されていると思います。そうしたお仕事はどのようなきっかけでされているのですか?

 

万里紗さん:オーディションの場合もあれば、出演作を見て下さった方からお話をいただいたり。初めて翻訳させてもらった仕事も、昔の共演者が、「今度アメリカの芝居をやるから万里紗翻訳してくれない?」というのがきっかけでした。


中島:万里紗さんが主宰されていた自作自演舞台《響きと怒り》の告知動画を拝見して、万里紗さんの表現力に圧倒されました!数十秒の動画でも、表情や仕草とか動き方だけでその場の雰囲気や空気感が伝わってきて、本当に、圧倒されました。

【詩劇響きと怒り】東京公演ダイジェスト動画 - YouTube

「詩劇 響きと怒り」稽古場動画 - YouTube












(詩劇「響きと怒り」公演写真)

 


万里紗さん:ありがとうございます。

 

中島: 杉山先生もこの「響きと怒り」のトークセッションに参加されたというお話を授業中にされていて

万里紗とノミヤのプロジェクト『詩劇 響きと怒り』語らいセッション4 前半 - YouTube


杉山:そう、授業中もちゃんと宣伝していますよ(笑)。

 

中島:オーディションは、所属されている事務所が話を持ってきたりするのですか?

 

万里紗さん:物にも人にもよりますが、日本の場合は他の国と比較して事務所の力がすごく強いんですよ。アメリカとかだと「オープンコール」という、誰でも受けられるオーディションも頻繁にあります。映画《コーラスライン》にもそういうシーンが出てきますよね。募集告知が出て、みんながオーディション会場に列をつくる。日本はそういうのは少ないですね。

 

杉山:日本ではアメリカのようなオープンコールがあまりないけれど、上演のための資金集めや、利益の分配のシステムがアメリカと違っているからで、それがキャスティングにも関係あるのかなと思っていたのですが。

 

万里紗さん:まさにおっしゃる通りです。どこから制作資金を捻出するか、という仕組みの違いですね。ただアメリカやイギリスとかだと、一回失敗したり、劇評で批判されたりしても、キャスティングや演出を変えてリトライして作品を育てていくなんて話も聞きます。実験的に複数のアーティストを集めて作品を創らせて、それをプロデューサーが観て、「うまくいきそう」と判断されたら公演になるとかいう話もある。あと、新聞に劇評が頻繁に載っているのでお客さんもそれを読んで観に行くとか、そういった色んな相互作用がしっかり出来上がっているみたいです。だから、ひとつの作品ですぐに結果をださなきゃいけないわけではない。長い時間をかけて作品を育てていく仕組みができているのが大きい違いだなと思います。日本の場合は、プロデューサーや企業などが責任を負っていて、短いものであれば1週間、長いものであれば数ヶ月で結果をださなきゃいけない、売上をあげなきゃいけないというのがあるのでチケット売り上げの手堅いキャストで固めていくというのがあるんだと思います。

最近は新国立劇場がそうではいけないということを言い出していて、芸術監督が代わってからフルキャストオーディションというのを始めました。

公共劇場だからこそ、作品主義で、色んな人にチャンスを与え、演劇界を変えていこうよ、ということが徐々に始まっています。ただ、根本的に日本の演劇界が変わるには100年かかると仰る方もいますよ。確かに、長い道のりかもしれない。


正解が無いからやみつきになる


中島:学生時代から女優をされていますが、女優業を始めたきっかけや、やりがいや大変なことをお聞きしたいです。

 

万里紗さん:小学生のときに同級生が舞台に出ているのをみて、「私もやりたい」って言いだしたのが最初だったと思います。それに当時流行っていたテレビ番組にも同世代の子がたくさん出てて、「私もこれやりたい」って言って(笑)。そのテレビ番組にハガキも出したんですよ。そしたら「プロダクションを通してオーディションを受けてください」という返事がきました。だから“プロダクション”が何かも分かってなかったですが、母親にプロダクションに入りたいとねだりまくり、その時期新聞に募集の載っていた舞台のオーディションを受けたのが始まりでした。

大変なことっていうと、やっぱり安定しないっていうのが大きいかな。一個の作品が終わったらその都度失業ですもん。きりがない(笑)。「ウレる」ところまでいっちゃったら安定はするのかもしれないですけど、それでも、コロナで公演が中止になったとか、突然体調をくずしたとか、そうなると後ろ盾ありませんからね。失業保険も有給も厚生年金もない(笑)。特に、コロナ禍で次々公演や撮影が中止になった時は本当に動揺しました。

でもこの仕事の魅力は、正解がないところ。

チケットの売り上げも大事だけど、作品の成果っていうのは数字であらわれるものではありません。お客さんの感動とか、この作品観て救われた、生き方が変わった、明日も頑張ろうと思えたとかって、ね、数字で測れるものじゃないから。それはすごく魅力だし、面白いし、答えがないから永遠に続けてしまうんだろうなとも思います。

なんだろう、世界中の人から嫌われてしまうような凶悪な殺人犯の役だったとしても、もしかすると観た人の心に寄り添ったり、暗闇に光を当てて、魂を救うことができるかもしれない。

それから、俳優同士の息や、音響照明、その日のお客さんの状態など、すべての要素がぴたーっと噛み合った時、奇跡みたいな瞬間が訪れることがあるんです。

それって手でつかめない、一瞬にして消えてしまうものだけど、そこに出来上がった宇宙は、関わった人の心に確実に残り続けます。

なんかねー、それがやみつきになっちゃうんでしょうね(笑)。

 

中島:そういった空気感は映画とかドラマとかよりも、舞台でお客さんがその場にいてこそ生まれるようなものですよね。

 

万里紗さん:おっしゃる通りだと思います。

よく、映画は監督のもの、舞台は役者のものって言うんです。

映画の場合は、どういう間合いにするか、どこを見せるかっていうのはすべて監督が決めて編集していきます。

一方で舞台は、常に全景色がお客さんに見えている。照明でここにフォーカスを当てるとかはありますけど、その瞬間何を見るかっていうのはお客さん次第だから、お客さんの数だけ物語がある。お客さんが自分で物語を持って帰るっているのもまた面白さですよね。


俳優と役とお客さんの関係性


中島:例えば長期間舞台をやっている間に、お客さんの反応次第で演じ方を変えること等はありますか?

 

万里紗さん:うーん、お客さんのほうが演者の一歩先を行っているなって思うときはありますね。

私は、稽古で演出家と共に作ったものがすべてだと思っているので、劇場で新しいアドリブを挟むとか、演出家との相談なしに芝居を変えるとかは基本的にしないです。

けど、例えば12月に出演した《Navy Pier-埠頭にて》という、サンフランシスコとニューヨークを舞台にした4人の若者のお芝居で、主人公の男の子が私の役と恋に落ちるんですが、《ロミオとジュリエット》みたいにすれ違いがおきて主人公が自殺をしちゃうんですね。で、演じている側としては一人のキャラクターとして、ギリギリまで主人公を救うため戦い続けるという意識を持っています。

けど、昔サンフランシスコに住んでいた私の母がその芝居を観たときに、「ほんとベイエリアの男ってああなのよね。すぐ思い詰めて、自殺しちゃうのよね。自分のことばっかり。でもね、大丈夫だと思う。万里紗の役はニューヨークで新しい職場見つけて、自分のやりたいこと叶えて生きていくんだと思う。」っていう話をしていて(笑)。

そういう風にお客さんの想像力のほうが演じている側よりも先に行くことがあるのは面白さだと思います。

コロナ禍だと舞台が終わった後に面会できなくて感想を聞けないのがさみしいんですけど、それでも家族やネットに感想を書いてくれた方などから、そういう見方がこの作品にはあるんだって教えてもらうことがたくさんあります。

 

中島:たとえば悪役や嫌われ者役を演じた俳優が、役柄を通して演者自体が批判されることがありますが、それはどう思われますか?


杉山:それって例えば万里紗さんがものすごいケチな人の役を演じて、万里紗ってケチなのねって批判されるとかそういう話?

 

中島:そんな感じです。例えば、私がネットで見た例はいじめっこの役をした俳優が、その俳優自体が「ひどすぎ、嫌いになった」って批判されていた事例でした。でもその俳優は、そのいじめっこに自分がなりきれていたという演技への誉め言葉のうらっ返しだと思うから、そうした批判も嬉しいと言っていました。

 

万里紗さん:う~ん、あんまり大きい声では言えないですけど、「俳優が役になりきる」という表現自体に私はちょっと違和感があります。

ときどきインタビューでも「どうやってこの役になりきったんですか?」といった質問が出てますけど、その、「なりきる」ってなんだろう?って(笑)。

あくまで私の考えですが、私たちは作品を「作って」いる。「表現をしている」んですよね。もちろん瞬間瞬間はその役自身として「生きて」いるつもりですが、それは同一化しているんじゃなくて俳優が芝居をしているんだっていう前提です。そうじゃなかったら、心を病んだ役を毎日健康に、何ステージもこなすなんてできないですよ。鳥瞰的に役を見る視点もあるからこそ、物語に効果的な芝居を選択できるし、没入もできる。

さっきの例え話で言うと、「この人、性格すごく良い俳優なのに、酷いいじめっ子の役をリアルに演じている!」と思ったらお客さんの感動も増えるんじゃないかな(笑)。

そうじゃないと、俳優の役のチョイスが減っていっちゃうと思うんです。悪役を演じるとイメージが下がるから清潔な役しかやらないってなってしまうと、天使みたいな人を演じる役者しかいない、みたいなことになっちゃうよね。

うまく説明できてない気がするんですけど…。

 

中島:いえいえ、そんなことないです。私が感じていたわだかまりが解消されました!俳優は役をお芝居で表現しているだけだっていうのが、本当におっしゃる通りだなと思いました。私も役になりきるってなんだかな~と思っていた部分があって。

 

万里紗さん:なぜそういう風になっているかって原因が分からないですけど、私もそういう現象は時々目にします。それこそ《ペール・ギュント》に出たときに、私の演じたキャラクターが結婚するはずだった相手の男の子に捨てられてぶちぎれて森の中で半裸になるという役だったんです。それは演技なんだけど、批判とまではいかなくても「万里紗、怒ったからって裸になるなんてひどい!」って何度か言われたんですよ。でも「別にあれ私じゃないしな」とは思いました。私は怒っても裸にならないぜって(笑)。

 

私のすごく尊敬する俳優さんが言っていたのが、「俳優の匿名性が大事だよ」と。

 

中島:匿名性、ですか?

 

万里紗さん:ある作品を観た後にお客さんが例えば「吉永小百合良かったよね」って言うのではなくて、「あのヨシコってキャラクターよかったよね」みたいな。「あのヨシコはさ、ほんとはあの時にこうするべきだったよね」とか。

つまり「お客さんが“●●という俳優”として見るのではなくて、あるキャラクターと出逢うっていう体験をしてくれることが大事だと思う」と仰っていたんです。

それはすごく素敵なことです。そういう意味ではさっきのいじめっこのキャラクターに怒りを覚えたというお客さんはすごく肯定したい。

俳優自身を罵倒するのはどうなんだろうと思うけど、お客さんがキャラクターと出逢い、そのキャラクターのことを語るっていうのはとても素敵なことだなと思います。





中心軸とその周りを漂うそよ風を掴む

中島:役になりきることに終始せずお芝居でどう「表現」するか、ということは万里紗さんご自身も演技をするうえで心掛けていることにもつながりますか?

 

万里紗さん:…そうですね。「役作り」とか「表現する」ってすごくいろんな要素があって、たった一つの正解のルートがある訳でもないから、心掛けていることとかって難しいんですけど。

私自身が意識しているのは、なんだろう、物語の中心軸と、その周りを漂うそよ風の匂いを掴む、みたいな感覚です。

中心軸っていうのは、いかに行を読み、行間を読み、物語を伝えるために必要なことを掴むかということ。

周りを漂うそよ風を掴むというのは、その物語を構成する、もっと言葉にならない空気や粒子みたいなものってなんだろうって探求することかなぁ。

そこはすごく幅があるんです。例えば、堅物の寿司屋の職人を演じる。その人が主人公に意地悪する役で、だけど意地悪されたことで主人公が学んで成長するっていう物語があったとします。で、物語の中心軸っていうのは、この寿司職人がちゃんと、確実に主人公に意地悪して影響を与えること。じゃないと物語が成立しません。これは必ず表現しないといけない。

でもじゃあ、その寿司職人はどんな靴を履くの、歩くとどんな音がするの、毎日大事にしているものって何、毎日どんな景色をみて心を動かしているの、主人公が暮らしている街はどんな街で、どんな匂いがするの、魚の匂い、それとも牧草の匂い、とか、これらは自由度がすごく高いものじゃないですか。

でもそれって絶対お客さんに伝わるものだし、お客さんの演劇体験を豊かにする要素です。そこにも正解は無いけれども限りなく正解に近いものは多分存在していて、すべての要素を総合していかに物語を渡せるかが問われる。具体的なものと抽象的なものとをちゃんと自分が持っていく。その抽象的なものに関しては、限りなく想像力を広くして、恐れずトライして、演出家と調整していく。それでこの物語にはそれは有効だからやりましょう、それは有効じゃないから違うものを試してくださいというやり取りをやっていくんですね。

そういうことを大事にしてるかなぁ。

だから初めての本読みのときとか、初めての立稽古のときに、あらかじめ台本を読んだとき自分の感性で湧いたアイディアをどれだけ勇気をもってトライできるか、みたいなことは意識しています。

 

中島:そのアイディアの引き出しをたくさん持ってないとパッと出せないので難しそうです。

 

万里紗さん:ね~。でもきっとそれも人生経験次第なんでしょうね。だから役者はいろんな恋愛をしろって言われるんだと思います(笑)。

でも逆に言えばその引き出しが少なくても少ないなりの純度みたいなものがあると思います。18の時にしかだせない空気や、ビビッドに感じているものがある。その年齢にふさわしい役が無限にあります。

どんな仕事をしていても、きっと年を重ねるにつれて芳醇になっていきますよね。それを信じて、常に色んな経験と出逢っていこうと思いながらやっている日々です。





~お知らせ~

万里紗さんの出演される公演情報です!

(1)ワールド・シアター・ラボ リーディング「I Call My Brothers」

2月18日・20日 上野ストアハウスにて

作:ヨーナス・ハッサン・ケミーリ 演出:小川絵梨子 翻訳:後藤絢子/翻訳監修:小牧游

出演:亀田佳明、浅野令子、近藤隼、万里紗、杉宮匡紀 

【公演HP】https://iti-japan.or.jp/announce/8049/


(2)理性的な変人たち「オロイカソング」

3月23日~27日 アトリエ第Q藝術にて

作:鎌田エリカ 演出:生田みゆき

出演:滝沢花野、梅村綾子、西岡未央、佐藤千夏、万里紗

【公演HP】https://henzinzin.wixsite.com/mysite

【チケット予約】https://torioki.confetti-web.com/form/1563/8711

 

(3)日生劇場ファミリーフェスティバル2022「アラジンと魔法の音楽会」

7月30日・31日

演出・構成:粟國淳 作曲・編曲・構成:加藤昌則 指揮:大井剛史

出演:加耒徹、与那城敬、小関明久、万里紗、他

【公演HP】https://www.nissaytheatre.or.jp/schedule/famifes2022aladdin/



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