ゼミ紹介

佐々木 雄大

ササキ ユウタ

専門分野・研究対象

西洋哲学・倫理学、特に20世紀フランスの思想家、ジョルジュ・バタイユの思想を「聖なるもの」や「エコノミー」という観点から研究しています。また、最近では「役に立つ」とはどういうことか、についても探究しているところです。


ゼミ紹介

受講生が語る~佐々木先生の「文化学演習Ⅱ」はこんな内容!こんな雰囲気!

佐々木先生の専門分野は西洋の哲学・倫理学ですが、先生はフランス語、ドイツ語、英語、イタリア語の文献を読まれていて、様々な分野にも通じているので、このゼミでは、哲学・倫理学に関心のある学生はもちろん、地域・視覚・比較のどのコースに進んだ学生でも自由に研究ができると思います。

また、先生がゼミ生の話を根気強く聞いて、対話しながら一緒に考えてくれるので、まだ自分が何を研究したいのか分からないという人や自分の興味関心に寄り添ってくれるゼミが見当たらないと悩んでいる人にもおすすめです。


これまでのゼミ生の卒業研究テーマ(抜粋)

  • 各々の生き方に制限は必要か
  • 大量生産・大量消費社会における衣服の問題と古着の可能性
  • 「自分」を生きるうえでのハイデガー死生観
  • ファッションにおける本当の役割とはなにか――鷲田清一から考える本質と意義
  • TOTOROとトトロ――「となりのトトロ」の英語字幕を見つめ、その背景にある文化の差異や社会要因を探る
  • 自由を優先することは他者危害に相当するのか――コロナ禍における自由の在り方
  • 環境問題におけるプラスチックごみ問題に対する真に有効な策の検討
  • 神話は人々に何をもたらすのか——神話世界を通して現実世界を捉えることの意味
  • 『全体性と無限』における「主観性」とはどのようなものか――「顔」との対面による分離と関係
  • イタリア・マフィアの世界――シチリア、カモッラ、ンドランゲタ比較史
  • ラファエロ・サンティ——フィレンツェ時代の聖母子画における作風の変遷


最近の仕事

◆単著

  • 『バタイユ:エコノミーと贈与』講談社メチエ、2021年。 バタイユの思想を「エコノミー」という観点から一貫して読み解く試み。


◆翻訳

  • 『マナ・タブー・供犠:英国初期人類学宗教論集』江川純一・山﨑亮監修、佐々木雄大・比留間亮平・藤井修平・金瞬・徳田安津樹訳〈シリーズ宗教学再考〉国書刊行会、2023年。  ロバートソン・スミス「供犠」、フレイザー「タブー」「トーテミズム」の訳と解題を担当。

  • エッカート・フェルスター『哲学の25年』 、法政大学出版局、2021年。 カントからヘーゲルまでの25年間に何が起こったのか、スピノザやゲーテらと関連づけながら、追体験していく。


◆論文

  • 「フェティッシュ・フェティシズム・ファクティッシュ」『現代思想』51(3)、pp. 84-94 2023年。 B. ラトゥールの「物神事実」(ファクティッシュ)概念を物神・物神崇拝の思想史のうちに位置づけ、その限界と可能性を検討したもの。
  • 町人根性論――和辻倫理学における有用性の問題」『倫理学紀要』28、pp. 33-53、2021年。 日本を代表する哲学者・倫理学者である和辻哲郎の「有用性」(役に立つ)批判を検討したもの。
  • 「受肉せざるもの:ぬいぐるみの現象学」『ユリイカ』53(1)、pp. 142-150、2021年。 人間でも動物でも単なる物でもない、ぬいぐるみの独特のあり方について、現象学的他者論の観点から分析したもの。
  • 「世界に魔法をかける:ウェーバーとデュルケームの宗教社会学 」『現代思想』48(17)、pp. 50-62、2020年。 ウェーバーの「脱魔術化」「カリスマ」概念をデュルケームの「聖なるもの」と比較しながら検討したもの。


メッセージ

私が感じる文化学科の魅力

①英語だけでなく第二外国語(ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語)が必修で語学をみっちり学べる点と、②1年次から4年次まで必ず演習に所属し、先生方から丁寧に指導してもらえる点です。


文化学科で学んでほしいこと

世界の言語や文化を通じて「ここ」ではない場所、古代から現代までの思想や歴史を通じて「いま」ではない時代を学ぶことで、「いま・ここ」だけには限定されない視点をもって欲しいと思います。


私のおすすめ

プラトン『饗宴』。愛(エロース)とは何かがテーマの対話篇で、愛や美について深く考えられるだけでなく、哲学の基本を学ぶことができます。手に取りやすく読みやすいので、光文社古典新訳文庫版がおすすめです。


文化学科をめざすみなさんへ

学問をするとは自由になることです。自由になるために、一緒に文化学科で学びましょう。



哲学カフェ情報


哲学カフェとは、多様な背景をもった人たちが自由に対話することを通じて、自らの思考を問い直し、深めることを目的とする営みです。

特に、本哲学カフェでは、女性が安心して自分の意見を自由に発言し、哲学することができる場の創出を目指しています。

※発言することは強要されません。お気軽にご参加ください。

※本学学生へのつきまといやセクハラ等の迷惑行為があった場合、退出していただくことがありますので、ご了承下さい。

※お申し込み頂いた方にはご案内メールを差し上げています。案内メールが届いていないという場合、正しいメールアドレスが登録されていない可能性があります。いま一度、メールアドレスをご確認ください。


【過去の記録】

  • 哲学カフェ「健康ってそんなにいい?」2023年 11 月 11 日 (土) 13 : 30-15 : 00、於: 百二十年館 B1F 国際文化学科映像資料室、参加者6名(在学生・卒業生限定)

  • 哲学カフェ「幸せって、何ですか?」 2023年7月22日(土)13:30-15:00 於:百二十年館 B1F 国際文化学科映像資料室 参加者6名(在学生・卒業生限定)

今回は、さまざまな学科から学生が集まり、「幸せ」という一つのテーマに対して、真剣に話し合うことができました。

始める前は、幸せを感じることとして「美味しいものを食べること」や「好きな人(家族や友達、恋人)と一緒に過ごすこと」といった答えが多いのかなと思っていたのですが、実際の対話のなかでは、そうした肉体的欲求や愛よりもむしろ、存在の肯定や承認が幸せを感じるために必要であるという意見が出ました。

また、その他にも、自分の作品を褒められたときに幸せを感じる、誰に褒められた方が幸せか(不特定多数か信頼している特定の人か)、安心や安全といった苦痛のないことが幸福なのではないか、といった議論が交わされました。



  • 哲学カフェ「「エモい」とは、何か?」 2023年5月18日(木)13:30-15:00 於:百二十年館 B1F ラーニングコモンズかえで 参加者5名(在学生・卒業生限定)

今回は、本学大学院生がファシリテーターをつとめてくれました。

まずは、「エモい」の様々な用法やその思想的系譜について大学院生による解説があり、大変勉強になりました。

次に、「エモい」とはそもそもどのような感情なのか、具体的な「エモい」ものにはどんなものがあるのか、その特徴は何か等々について自由に議論をしました。そのなかで、「エモさ」を構成するものとして、「切なさ」「憧れ」「距離」「時代的隔たり」「ストーリー性」といった諸要素が浮かび上がってきました。また、「エモい」には、純喫茶のクリームソーダ、煙草、自堕落のような典型例があり、データベース参照型なのではないか、それに対して、中国のEmoには単に「感情的」という意味合いしかない、といった指摘も出ました。

私(佐々木)は対話を聞きながら、「エモい」とは「決して経験しなかった過去の思い出」なのではないかと考えました。


  • 第7回哲学カフェ「「母」とは何か?」 2022年12月17日(土)13:00-15:00 於:百二十年館 青藍館 参加者7名(内学外者3名、卒業生2名)

今回もまた、本学卒業生で他大学の大学院で哲学を研究している院生がファシリテーターをつとめてくれました。

レヴィナス『存在と時間』や中真生『生殖する人間の哲学――「母性」と血縁を問いなおす』 、湊かなえ『母性』といったテクストを題材にとりながら、「母性本能」は生まれながらのものか否か、母と子(娘、息子)の関係、父と母のイメージの違いといったテーマについて話し合いました。なかでも私(佐々木)が印象に残ったのは、「無償の愛」についての議論です。一般的に、母から子への愛は、見返りを求めない無償の愛であると考えられています。しかし、実際には、すべての母親が必ずしも子供を愛しているわけではないし、また、子から母への愛こそが無償の愛であるとも言えます。

すべての人が母になるわけではありませんが、すべての人には母がいます。その意味で、母は人間存在について考える哲学にとっても非常に重要なテーマであると考えました。

  • 第6回哲学カフェ「「他者」とは何か?」 2022年11月26日(土)13:00-15:00 於:百二十年館 B1F 文化学科映像資料室 参加者10名(内学外者5名、卒業生3名)

今回は、本学卒業生で現在は他大学の大学院で哲学を研究している院生がファシリテーターをつとめてくれました。

まずは、仲間と協働するとき、「他者」は単なる道具として扱われているのか、それとも信頼する相手として扱われているのか、という問題について議論しました。そのなかで、たしかに友人を道具扱いしてしまうことがある、むしろ他人を主体として自分を道具にしたい日がある等の意見が出ました。

また、「他者」といっても、必ずしも他人とはかぎらず、自己が他者になることもあるのではないか、例えば、異なる言語や環境で話すとき、自分もそれに応じて変化しているように思う、という意見や、ネットに蔓延するヘイトの言葉は、他者との対話の欠如によるものではないか、また他方で、他者としっかりと対立することも必要である、といった意見も出ました。

対話の前は、「他者」というと、レヴィナスの「他者」(私と絶対的に異なるもの)のようなものをイメージしていましたが、主に対話のなかでは、自分と似ていたり、協働する相手だったりする「他者」が主な話題となり、そうした意外な展開になることもまた、対話の醍醐味であると感じました。



  • 第5回哲学カフェ「なぜ大学で勉強するのか?」 2022年10月22日(土)13:00-15:00 於:百二十年館 B1F 文化学科映像資料室 参加者4名(内学外者2名、卒業生2名)

まずは、「なぜ大学で勉強するのか?」という今回のテーマを、「大学で」と「勉強する」という2つの要素に分け、後者の「勉強」について考えていきました。「勉強」は「学ぶ」「研究」とそれぞれどのように違うのか、という問いについて話し合い、また、勉強における先生と生徒の関係の問題、勉強に先生という存在は必要か、AIでもいいのではないか、といった事柄を議論しました。

次に、「大学で」へと話は及び、主に大学と社会との関係が議論の的になりました。そこでは、現在の大学は本来の役割である社会への還元や個人の修養が果たせていないのではないか、そうであれば、より市場経済化した方がいいのではないか、現在の日本の大学の学生は18-22歳が主体であるが、仕事をしてから戻って学び直す場でもいいのではないか、といった意見が出ました。

今回は残念ながら、当事者である大学生の参加者がいませんでしたが、その分かえって、大学教育の意味について、外の視線から眺め、社会の中での役割という観点から議論を深めることができました。


  • 第4回「なぜ推しは尊すぎてしんどいのか?」 2022年7月16日(土)13:00-15:00 於:百二十年館B1F 文化学科映像資料室 参加者9名(内学外者2名、卒業生4名)

まずは、「推し」が何なのか分からないという参加者がいたので、そもそも「推し」とは何か、ということから対話が始まりました。

「推し」は一方では、神聖なもの・崇高なものといった自分を超越した存在でありながら、他方では、子供や赤ちゃんのような、成長を見守り、庇護するべき存在でもある、という意見が出ました。また、ひとはなぜ・いつ推しに入るのか、という問いに対しては、不安や欠如を抱えている場合もあれば、日常に満足していて、さらに人生を楽しみたい場合もあるという答えがありました。さらに、「しんどい」という感情にも、自分の理想とのギャップから生じるマイナスな感情と好きすぎるというプラスの感情という両義性があることが対話を通じて明らかになりました。

その他に、オタクの内での陰キャ/陽キャヒエラルキーや、ファンと推しの違い、宗教と推しの類似性と相違性、資本主義的な消費と推しの関係(お金を使わなきゃ推しているとはいえない!)など、対話は単に「推し」のあれこれについて知るのみならず、社会や経済など、様々な視点から「推し」について検討をすることができました。

「オタク女子」たちの熱量に圧倒された2時間(アフタートークも入れると4時間)でした。


  • 第3回「戦争はなんで悪いの?」 2022年6月18日(土)13:00-15:00 於:百二十年館B1F 文化学科映像資料室 参加者6名(内学外者3名、卒業生2名)

戦争とは何か、なぜ人は戦争をするのか、どうすれば戦争を避けることができるのか、そもそも人間同士の争いは防ぐことはできるのか、といったテーマについて、活発な議論が交わされました。

国家や集団といった何か(宗教、言語、文化)を共有する共同体が形成されることで戦争が起こるのだとすれば、各個人がそれぞれバラバラで共同体を形成しなければ、戦争にならないのではないか。いやむしろ、「各人の各人に対する闘争」状態になってしまうのではないか。「何も共有しない共同体」というものを考えれば、戦争が起こりにくいのではないか。そんなものは現実にありうるのか。

また、仮に人間の闘争本能や暴力性をコントロールする薬なり技術なりが開発された場合、戦争という悪を防ぐためにそうした技術を用いた方がよいのか、それとも、そうした技術を用いるくらいなら、まだ戦争をした方がマシなのか。どちらがより人間性を否定することになるのか。暴力性を排除することは、社会を刷新する力をも封じ込めることで、保守的な現状肯定になってしまうのではないか。

……等々といった非常に興味深い、倫理的な問題を喚起する意見が出され、たいへん充実した会となりました。

 

  • 第2回テーマ「愛ってなんだ?」 2022年5月21日(土)於:新泉山館2F 会議室1 参加者9名(在学生4名、学外者3名、卒業生2名)

愛の定義とは何か、そもそも愛は定義できるのか、性愛と友愛の違いは何か、そもそも性愛と友愛は本当に区別できるのか、無償の愛は成り立ちうるのか、といった多岐にわたる論点が出され、活発で率直な意見が交わされました。最も基礎的な概念を定義するところから始まり、性や愛に関する深い議論に到るまで、非常に有益な哲学的な対話ができました。

  • 第1回テーマ「役に立つってどんなこと?」 2022年4月16日(土)於:百二十年館B1F ラーニングコモンズかえで 参加者9名(学外者2名)