ゼミ紹介
田中 有美
教員の専門分野・研究対象
アメリカ文学を軸としつつ、英語圏、スペイン語圏、そして日本の文学を視野に入れた比較文学・文化が専門分野です。言語や国境、そして、時間を越えてゆく、文化的なネットワークに関心があります。
ゼミ紹介
受講生が語る~田中有美先生の「文化学演習Ⅱ」はこんな内容!こんな雰囲気!
私達は少人数のゼミですが、先生との距離も近く、和気あいあいと学んでいます。また、卒業論文の完成を目指しながら「翻訳スタジオ」という翻訳のプロジェクトにも取り組んでいます。ゼミ生が取り組んでいる研究は、ブロードウェイ・ミュージカルや音楽などのポップ・カルチャーから、アメリカにおける書道の受容、アメリカ文学や人種問題など多岐にわたります。
ゼミのオリジナルHPもご覧下さい。
《翻訳スタジオについて》
私達のゼミでは、先輩たちから引き継いで文学作品を翻訳する取り組み「翻訳スタジオ」を行っています。これまでに、ケイト・ショパン(Kate Chopin, 1850-1904)の「解放:生きることの寓話」("Emanciation: A Life Fable") 、「一時間の物語」("The Story of an Hour")、「ライラック」("Lilacs")の三作品の翻訳に取り組みました。2024年度はイーディス・ウォートン(Edith Wharton, 1862-1937, 下記に詳しく紹介しています)が書いた「トレーム夫人」("Madame de Treymes")の翻訳に取り組みました。結婚によりフランス上流社会で生きるニューヨーク出身の女性ファニーの苦悩を、彼女を愛する幼なじみの視点から繊細な文章で書き綴った中編小説です。ゼミの全員でどのように訳すのか、また分からないところを話し、考えながら翻訳しました。特に、その中でも誰に対して言っているのか、誰のことを言っているのかなどについて分からないことが多く一番難しかったです。ヴィジュアルにもこだわった前半部分(1−5セクション)の完成版はこちらです。
《イーディス・ウォートンについて》
1902年頃のウォートン
ニューヨーク公共図書館デジタルコレクションより(パブリックドメイン)
20世紀初頭のアメリカ文学を代表する小説家。1862年ニューヨークにある裕福な家で生まれる。幼少期から家庭教師による教育を受け、幅広い教養を身につける。1885年にボストンの銀行家であるウォートンと結婚し、1907年にパリへ移住。その後、1937年に亡くなるまでほぼ同地で過ごした。1913年に離婚後は作家として精力的に活動した。代表作として知られているのは、1920年出版の『無垢の時代』(The Age of Innocence)であり、この作品は日本でも早くから翻訳され、多くの読者に親しまれてきた。また、1993年公開の映画『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』の原作になっている。そのほかにも、デビュー作である1905年出版『歓楽の家』(The House of Mirth)や、1934年出版の短編小説「ローマ熱」("Roman Fever")といった数多くの名作を残し、今日でも人々を魅了し続けている。
2022/3年度 翻訳スタジオ
《ケイト・ショパンについて》
1894年のショパン、Wikimedia Commonsより(パブリックドメイン)
1850年、アメリカ中西部のミズーリ州セントルイス生まれ。アイルランド系の父と、南部のルイジアナに入植したフランス系白人の子孫であるクレオールの母との間に生まれた。5歳の時に父が鉄道事故で亡くなる。19歳でクレオールであるオスカー・ショパンと結婚してニューオーリンズに移り住み、6人の子どもを出産する。1882年に夫がマラリアで急死し、1889年頃から生活のために短編小説を書き始める。作家として順調に進んでいたが、1899年に中編小説『目覚め』(The Awakening)を発表した際、女性の性の目覚めを正面から取り扱った小説である点が当時の人々に受け入れられず、批判された。しかし、女性解放運動が高まってきた1960年代後半からこの作品は再び注目された。まだ社会の伝統的な価値観が要求される時代の中、彼女は女性の自立、自己表現などを主張した作家として現在高く評価されている。
これまでのゼミ生の卒業研究テーマ(抜粋)
- ハリウッドにおけるアジア人表象の変遷-早川雪洲から 『クレイジー・リッチ!』まで-
- 海外から見た日本の銭湯文化に関する考察
- 非認知能力を高める援助方法~アメリカの幼稚園・保育園でのフィールドワークを通じて~
- 在日日系ブラジル人からみる移民教育の必要性
- 現代に生きる『若草物語』―日本における児童文学としての受容の考察―
- 『ハックルベリー・フィンの冒険』日本語訳における「役割語」分析
- “Representation of Loss, Isolation and Togetherness in Wes Anderson Works: Rushmore, The Royal Tenenbaums and The Life Aquatic with Steve Zissou”
- ジョイ・コガワの『オバサン』にみる「沈黙」と「書く」ことによる沈黙からの脱却
- 原作を演じる-エイミー・ベンダー『燃えるスカートの少女』日本語訳の考察-
- ポール・オースター『幽霊たち』におけるアイデンティティ表象-日米受容の差-
- アメリカン・カートゥーンにおける米文化描写と日米比較―ドリーム・ワークス作品を中心に−
- 家で教育するという選択-日本での積極的なホームスクール実施に向けて-
- 現代の日本で「食」の教育を行うためには−アリス・ウォータースのエディブル・スクールヤードに学ぶ−
- スニーカーがもたらす社会への影響-日米比較から見えるスニーカーの存在価値-
- なぜ日本ではスヌーピーがキャラクターとして一人歩きしてきたのか−『ピーナッツ』の日本の需要から見るキャラクタービジネス−
- 文化のグローバル化―トランスローカルなラップミュージック
- 英語版の台詞字幕から考えるジブリ映画-『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』を用いて-
- 『シカゴ』に生きる女性たち
- 『菊と刀-日本文化の型』から見える日本人像について
教員からのメッセージ
私が感じる国際文化学科の魅力
全ての学生が一度は日本を飛び出し、異文化に深く身を投じる経験をもちます。五感を総動員して異文化を受けとめる経験をした上で、日本を、そして自分自身を、相対化して見ることができる大きな視野身につけていただけるカリキュラムになっていることです。
国際文化学科で学んでほしいこと
異文化と出会うための外国語を、少なくとも一言語、一生付き合っていくつもりでしっかり学んでください。きっと、その言語が柔軟なものの見方を教えてくれると思います。
私のおすすめ
W・フォークナーの『響きと怒り』(岩波文庫)。私が初めて読んだ時は、不可解な語りに戸惑い、わけがわかりませんでした。何度も読んで理解する読書もいいものです。
国際文化学科をめざすみなさんへ
やらされる「お勉強」は高校まで。大学では、自分で学びたいことを見つけ、学んでいく段取りを作っていきます。自分のことは自分でプロデュースするのです。そのためにも、常に好奇心のアンテナを張りめぐらせ、興味のあるものを察知したら、徹底的に調べ、経験してみてもらいたいと思います。