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留学2024.03.19

ベトナム フエ大学外国語大学 Mさん

昇り始めた陽の光が眩しく感じる。

東南アジアに位置するベトナムの人々の一日は、日の出と共に始まる。


朝の7時から始まる大学の講義に合わせて、私は今日もバイクタクシーを利用して大学へと向かう。「寝坊したの?」と冗談を言う顔なじみのドライバーのおばさんに、「Khong(違うよ)」と答えながら、私は日常化したこの留学生活を、幸せに思うのだ。通学路に広がる「Banh Bao(肉まん)」の香りを、私は日本に帰国した後も思い出すことができるのだろうか?


川沿いにある「Xoi(もち米定食)」屋さんで朝ごはんをお持ち帰りして、カフェでそれを食べながら友人たちとお話をすることが、私の朝の習慣になった。大学のこと、恋愛のこと、家族のこと…。

生まれた国も違えば、育ってきた環境も違う友人たちと、特別な意味を持たない会話をできることが、どれほど奇跡的な事実なのかということを、私はこの留学生活で初めて知った。


太陽が一番高い所まで昇る頃、私は熱い陽の光を背後に感じながら、友人の背中に顔をつけて目を閉じる。バイクが風を切る音に負けないくらいの大きな声で、「夕方になったら家まで迎えに行くからね」と友人の誘いが聞こえれば、「Oki(ベトナム人が言うOK)」と私は答えて、再び友人の背中に体を預けるのだ。そして、考える。

友人のこの背中の温もりを、私は日本に帰国した後も思い出すことができるのだろうか?


一日を終えた人々が乗るバイクのクラクションの音が、あちらこちらから聞こえる。はじめは騒がしく感じていたこの音も、今では心地の良い生活音の一つだ。

約束通りに家まで迎えに来てくれた友人と共に食べる夜ご飯は、世界で一番美味しい料理のように感じる。同時に私は、独りで食べる料理がひどく悲しい味がすることを知った。日中に比べていくらか涼しくなった外の空気を感じながら、私はこれからも続くであろうこの日々に期待をする。


帰宅した際に友人はいつも、ヘルメットを外す私を見て「またすぐに会おうね」と声をかけてくれる。この一言で私の留学生活が、かけがえのない宝物になっているということを、いつか友人に伝えなければならない。


「おかえりなさい」と片言の日本語で言ってくれる家のオーナー。

「いってらっしゃい」と声をかけてくれる近所のお姉さん。

「元気?」と手を振ってくれる近所でアルバイトをしている友人。


良い時も悪い時も、フエの人々は私の近くにいてくれる。この留学生活を始めて約4か月が過ぎた。生活に慣れない頃に感じていた「フエの人々はお節介だ」という感情。しかし今ではそれを、「私には家族のような存在の人々がいる」と説明することができる。


私は現在、日本で生活していた際の記憶を少しも思い出すことができない。他の言葉で言い換えてみると、日本で生活していた際の記憶を自らの意志で失くした。

母親が作ってくれるご飯の味。自分の部屋の匂い。大学に通うために利用していた電車内の風景。大勢の人々が行き交う東京の交差点。

これは、母国である日本を恋しく思わないため…であると共に、“新しい自分”になる覚悟を決める手段であった。


これまで過ごしてきた数か月と、これから過ごす数か月は、すべて私だけのものだ。フエで見上げる空の色も、バイクに乗りながら感じる風の匂いも、全部、全部、私しか知らない。

“留学をする”ということにおいて、語学力の向上や現地の大学の授業を受けることが、最終目的ではないと私は考える。母国とは違う何かを見つけた際に、それらを自分だけが持っている財産にすることが、留学の真の意義だと私は確信している。





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